日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒト成長ホルモン剤」の意味・わかりやすい解説
ヒト成長ホルモン剤
ひとせいちょうほるもんざい
ヒトの下垂体から抽出調製されたヒト成長ホルモンhuman growth hormone(hGH)含有注射剤で、骨端線閉鎖を伴わない下垂体性低身長症の治療薬に用いられる。白色ないし微黄色の粉末で、においはない。hGHは下垂体前葉において生成される191のアミノ酸からなるポリペプチドで、分子量は約2万1500と報告されている。成長促進作用とともに、タンパク質代謝、糖代謝、脂質代謝、電解質代謝にも影響を与え、タンパク質合成の促進、血糖値の上昇、脂肪分解の亢進(こうしん)、血清中のカリウムの上昇がみられる。
1963年にスウェーデンのカビ・ビトラム社(現、ファイザー社)が医薬品として製造発売した「クレスコルモン」(一般名ソマトロピン)が最初のヒト成長ホルモン製剤で、ヒトの脳から抽出精製されたものである。ヒトの脳が原料となるため供給が限られていたことに加え、この製剤を用いた患者が致死率のきわめて高いクロイツフェルト・ヤコブ病にかかったことが問題となった。その原因がプリオンというタンパク質性の病原体によることがわかり、プリオンはウイルスではなく、不活性化が困難であり、精製過程でこれを完全に除去することが保証されないという報告がある。「クレスコルモン」のほか「注射用ヒト成長ホルモンノルディスク」「コルポルモン」「グロウルム」が市販されていた。その後、遺伝子組換え技術の進歩により、カビ・ビトラム社で大腸菌を担体として、組換えDNA法により、メチオニンを付加したヒト成長ホルモン「ソマトノルム」(一般名ソマトレム、m-hGH)の製造に成功。1982年(昭和57)以来ヨーロッパと日本で臨床治験が行われ、効果は天然ヒト成長ホルモンと変わりなく、物理化学的特性も同じことが証明され、1986年2月厚生省(現、厚生労働省)から製造承認された。ソマトレムの市販によりクロイツフェルト・ヤコブ病感染問題および供給不足問題は解消されたが、ソマトレムは長期間の使用で抗体陽性率が高まることがわかり、その原因がメチオニンによることから、天然型ヒト成長ホルモン(ソマトロピン)の開発が進んだ。1983年アメリカのジェネンテック社により遺伝子工学の技術を利用したソマトロピン(遺伝子組換えヒト成長ホルモンr-hGH)の生合成が成功し、この技術をもとにカビ・ビトラム社が「ジェノトロピン」なる名称で製造市販し、1988年11月日本でも承認された。次いで独自の製法を開発したデンマークのノルデスゲントフテA/S社(現、ノボ社)およびアメリカのイーライ・リリー社で、それぞれ「ノルデトロピン」「ヒューマトロープ」として1989年11月市販され、ソマトレムは発売を中止した。現在、上記3社のほかJCR社、セローノ社が加わり、「グロウジェクト」「ザイゼン」「セロスティム」なる名称で、種々の規格ものが市販されている。重大な副作用には、けいれん、甲状腺機能亢進症、ネフローゼ症候群、糖尿病があり、適応症は下垂体性小人症のほかターナー症候群、慢性腎不全、プラダーウィリー症候群にともなう低身長、成人成長ホルモン分泌不全症など、各製品によって多少異なっている。
[幸保文治]