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ビエンヌ公会議 ビエンヌこうかいぎCouncil of Vienne

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ビエンヌ公会議
ビエンヌこうかいぎ
Council of Vienne

フランス王フィリップ4世の要望で,教皇クレメンス5世がフランスのビエンヌに開催した世界教会会議。 1311~12年に開かれた。王自身によって選抜された 230名の聖職者が参加。神殿騎士修道会の富の接収を欲した王は,その堕落を告発して裁判することを会議に強要した。公会議は決断しなかったが,12年教皇が修道会解散を命じた。また王は,故ボニファチウス8世の断罪も要求したが,これは退けられた。ほかに清貧をめぐるフランシスコ会内部の争いを審理し,厳格派のオリビの3命題を排斥。布教のためにアラビア語ヘブライ語の講座を大学に設置することが決定された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ビエンヌ公会議
びえんぬこうかいぎ

カトリック教会の第15回公会議。1311年より12年にかけて、教皇クレメンス5世(在位1305~14)の下で、フランス南東部、リヨン南郊のビエンヌVienneで開催された。中心議題はテンプル騎士修道会問題であった。修道会の莫大(ばくだい)な財産に目をつけたフランス王フィリップ4世(美王)は、修道会の解散と財産没収を強行しようと、教会を圧迫した。問題検討のための公会議参加者の選定に際しても、フィリップ4世の意向が働いていたが、公会議自体は王権に完全に屈したわけではなかった。公会議では、修道会の解散が決定されたが、修道会の断罪、王への財産譲渡、およびボニファティウス8世(在位1294~1303)の断罪という王の要求は拒否された。
 このほか、公会議は教会改革についても決議を採択し、それらは『クレメンス5世教会法令集』に収められ、教会法の一部に加えられた。[梅津尚志]

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世界大百科事典内のビエンヌ公会議の言及

【ベギン会】より

…修道活動とともに,社会的慈善活動に従事したが,各会院間には統括組織をもたなかったようである。その神秘的瞑想に関して嫌疑がかけられ,1311年ビエンヌ公会議では禁圧された。のちに再認可されたが抑圧は続き,15~16世紀には救済団体としての機能がまさってゆく。…

※「ビエンヌ公会議」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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