日本大百科全書(ニッポニカ) 「ピアッツァ」の意味・わかりやすい解説
ピアッツァ
ぴあっつぁ
Michael Joseph Piazza
(1968― )
アメリカのプロ野球選手(右投右打)。大リーグ(メジャー・リーグ)のロサンゼルス・ドジャース、フロリダ・マーリンズ、ニューヨーク・メッツで捕手としてプレー。独特のスイングで右中間方向に打ち込むホームランが特徴で、捕手としては史上最高の強打を誇る。
9月4日、ペンシルベニア州ノリスタウンで生まれる。マイアミ・デード・コミュニティ短大から1988年、ドラフト62巡目指名を受けてドジャースに入団。一塁手だったアマチュア時代はまったく無名の存在で、捕手というポジションでかろうじてプロ入りに成功、マイナー・リーグで4年間かけて打撃を向上させ、1992年のシーズン終盤に大リーグへ初昇格した。レギュラーとなった1993年、打率3割1分8厘、ホームラン35本、打点112の好成績をあげ、新人王に選ばれた。以降、9年連続して打率3割以上をマークし、2002年までの10年間でホーラムン30本以上9回、打点100以上6回を記録する強打者となった。1995年に野茂英雄(のもひでお)が大リーグでデビューすると、野茂をリードする捕手として日本でもよく知られるようになった。1996年には、故郷ペンシルベニア州フィラデルフィアで開催されたオールスター・ゲームで最優秀選手(MVP)となった。1998年の途中でマーリンズへトレードされたが、1週間後にはメッツへ再トレードとなった。2000年にはチームがワールド・シリーズに進み、ニューヨーク・ヤンキースと対戦したが、勝つことはできなかった。
[山下 健]
2003年以降
メッツ移籍後6年目の2003年は、68試合の出場にとどまり、打率2割8分6厘、ホームランはわずかに11本であった。翌04年は129試合に出場したが、キャッチャーとしての出場は50試合のみで、その大部分は一塁手としての出場であった。このころから打撃成績も下降線をたどり、2005年の打率は2割5分1厘。2006年はサンディエゴ・パドレスでプレー、出場126試合のうちキャッチャーとして99試合に出場した。打率2割8分3厘、ホームラン22本と復活の兆しをみせたが、在籍1年でパドレスをはなれ、翌07年はオークランド・アスレチックスでプレーすることとなった。指名打者(DH)として期待された移籍であったためにキャッチャーとしての出場はなく、また故障のために83試合にしか出場できず、打率2割5分5厘、ホームラン8本に終わった。シーズン終了後にFA(フリーエージェント)となったが移籍先が決まらず、2008年に引退を発表した。
16年間の通算成績は、出場試合1912、安打2127、打率3割8厘、本塁打427、打点1335。獲得したおもなタイトルは、新人王。
[編集部]