コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

ピータールーの虐殺 ピータールーのぎゃくさつPeterloo Massacre

3件 の用語解説(ピータールーの虐殺の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ピータールーの虐殺
ピータールーのぎゃくさつ
Peterloo Massacre

1819年8月 16日,マンチェスターの聖ピーター広場に議会改革運動を支援する約6万人の人々が参集したとき,イギリス政府がこれを武力弾圧した事件。 11人の死者と少くとも 400人の負傷者を出したが,トーリー党政府はさらに徹底した弾圧手段として,六法を制定した。4年前のワーテルロー (英語読みウォータールー) の勝利との皮肉な類比から,ピータールーの虐殺と呼ばれた。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

百科事典マイペディアの解説

ピータールーの虐殺【ピータールーのぎゃくさつ】

1819年英国で起こった弾圧事件。選挙法改正を要求してマンチェスターの聖ピーター広場に集まった8万人の大衆を騎馬兵が襲い,多数の死傷者を出した。呼称はウォータールーの戦をもじったもの。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

ピータールーのぎゃくさつ【ピータールーの虐殺 Peterloo Massacre】

1819年8月16日,イギリスのマンチェスターのセント・ピーター教会前広場に集まった議会改革を要求する群衆が,当局側の弾圧をうけ,多数の死傷者を出した事件。イギリスではナポレオン戦争が終結(1815)し,戦時体制から解放されると,産業革命の矛盾が一挙に表面化し,抑えられていた労働者,職人らの不満が噴出して,政治改革・議会改革を要求する運動が高揚した。6万人が参集したこのマンチェスターの大集会は,下層階級による一連の議会改革運動の頂点をなすものであったが,大衆指導者ヘンリーハントが議長席に上がってまもなく,市当局が動員した義勇騎兵隊と軽騎兵隊とが群衆に斬り込んでけちらし,死者11名,負傷者400名以上を出した。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
世界大百科事典 第2版について | 情報

ピータールーの虐殺の関連キーワードおらが春石田春律各務文献振鷺亭林国雄渡辺一閃緑岩粗粒玄武岩人情本バジードー

今日のキーワード

エンゲルの法則

家計の総消費支出に占める飲食費の割合 (エンゲル係数 Engel coefficientと呼ぶ) は,所得水準が高く,したがって総消費支出が大きいほど低下するというもの。エンゲル係数は国民の消費生活面...

続きを読む

コトバンク for iPhone