ファン・バン・ドン(英語表記)Pham Van Dong

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ファン・バン・ドン
Pham Van Dong

[生]1906.3.1. クアンガイ
[没]2000.4.29. ハノイ
ベトナムの政治家。ベトナム共産党指導者,北ベトナム首相。クアンガイ省の官吏の家庭に生れ,フエの国学に学ぶ。 1926年中国,広東に渡りホー・チ・ミンの青年革命同志会に参加。フランス当局による7年間の拘禁後,中国南部でホー・チ・ミンの側近として働き,以後ボー・グエン・ザップとともに独立革命運動の指導者となった。 41年にはベトミン結成に参加。独立達成後の 46年ホー・チ・ミン政府の蔵相,54年には外相として,対仏講和のジュネーブ極東平和会議に出席。 55年から 87年まで北ベトナムおよび南北統一後の首相をつとめた。 1951年より政治局員。 30年余の首相在任を通じ党内および政府内の調整者,助言者として存在価値を示した。 86年 12月の第6回党大会で政治局から引退して,政治の第一線を退き党顧問となった。 87年6月ファン・フンに首相の地位を譲ったが,97年まで党顧問として活動した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ファン・バン・ドン
ふぁんばんどん
Pham Van Dong
(1906―2000)

ベトナムの革命指導者、政治家。クアンガイ省生まれ。1925年ハノイ大学在学中に反仏ストライキを指導して中国の広東(カントン)に脱出、ホー・チ・ミンと接触。1929年ベトナム青年革命同志会(ベトナム共産党の前身)で活動中逮捕され、5年間下獄。1940年ホーの指示を受け中越国境地帯でベトミン組織工作にあたる。1945年の八月革命とともに財務相就任。1951年労働党政治局員、1954年外相、1955年首相へと昇格、党・政府の要職を占めるに至った。この間ジュネーブ会議、バンドン会議に代表団長として参加、優れた外交手腕を発揮した。1960年代に入って激化したベトナム戦争では中ソ両国から最大限の援助を引き出しつつ、自主外交を貫徹し、ホーの絶大な信頼を得た。1976年以後の統一ベトナムでも革命第一世代の重鎮として首相職にとどまる。1976年ASEAN(アセアン)(東南アジア諸国連合)諸国を初訪問、東南アジア諸国の平和共存を訴えた。1986年、党の若返りを目ざしてチュオン・チン国家評議会議長、レ・ドク・ト党軍事委員会副委員長ら長老とともに首相職を辞し、中央委・政治局顧問となった。1995年、「南北統一後、社会主義化を急いだのはひとりよがりの極左主義だった」と自己批判して世界の注目を浴びた。[黒柳米司]

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367日誕生日大事典の解説

ファン・バン・ドン

生年月日:1906年5月1日
ベトナムの政治家
2000年没

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