ボー・グエン・ザップ(読み)ぼーぐえんざっぷ(英語表記)Vo Nguyen Giap

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボー・グエン・ザップ」の意味・わかりやすい解説

ボー・グエン・ザップ
ぼーぐえんざっぷ
Vo Nguyen Giap
(1911―2013)

ベトナムの軍人、革命家。ベトナム中部クアンビン省生まれ。ハノイ大学で歴史、経済学を学ぶ。1927年ころから共産主義運動に投じ、1930年インドシナ共産党創設とともに入党。1937年ハノイで中学教師となるが、1940年中国入り、ホー・チ・ミンらとベトナム独立同盟ベトミン)を結成。1944年ホーの指令でベトナム解放武装宣伝隊を組織し、人民軍の基礎を築いた。1945年ベトナム民主共和国(北ベトナム)成立とともに内相、1946年国防相に就任。1947年から人民軍総司令官として抗仏戦争指揮。延安で朱徳から伝授された人民戦争論に基づき1954年のディエン・ビエン・フー攻略に成功、戦略家としての名声を確立した。1951年ベトナム労働党中央委政治局員。1955年副首相。革命第一世代の重鎮として1976年統一ベトナム成立後も党、政府、軍に重きをなしたが、1980年に国防相の地位を、1982年には党政治局員の地位を失い、1987年の第8期国会議員選挙にも出馬を取りやめたが、副首相の地位にはとどまり、1991年引退。ベトナム解放戦争の基本戦略を集大成した『人民の戦争・人民の軍隊』(1961)ほか著作がある。

[黒柳米司]

『レ・クアン著、寺内正義訳『ボー・グエン・ザップ――ベトナム人民戦争の知将』(1975・サイマル出版会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボー・グエン・ザップ」の意味・わかりやすい解説

ボー・グエン・ザップ
Vo Nguyen Giap

[生]1912. フランス領インドシナ,クアンビン
[没]2013.10.4. ベトナム,ハノイ
ベトナムの政治家。ベトナム民主共和国(北ベトナム)人民軍,ベトナム共産党指導者。熱烈な反植民地主義の学者の子として,早くから自主ベトナムのために運動した。ホー・チ・ミンと同じ高等学校で学び,1926年ベトナム革命党に入党。1930年インドシナ共産党創立に参加したがフランス当局に逮捕され,ほどなく釈放。その後ハノイのリセ・アルベール・サローで学び,1930年代後半にハノイ大学で法学博士号を取得。1939年までリセの教壇に立った。同 1939年共産党が非合法化されたため,ファン・バン・ドンらと中国南部に逃れ,中越国境付近で活動。1941年帰国して抗日ゲリラ隊を組織し,進駐していた日本軍と戦ったほか,反仏闘争を指導。1945年ホー・チ・ミン政権の発足とともに内務大臣,1946年国防大臣,1947年人民軍総司令官を兼任。1951年労働党中央委員会政治局員となり,1954年にはディエンビエンフーの戦いで北ベトナム軍に勝利をもたらし,軍事戦略家としての声価を高めた。1955年副首相に昇格,1960年7月から 1963年まで国家科学委員会主任を兼任。1976年7月南北ベトナムが統一されてベトナム社会主義共和国が発足すると,新政府の副首相兼国防相に就任。1980年2月から副首相に専任。1982年第5回党大会で政治局員の肩書きをはずされた。

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百科事典マイペディア 「ボー・グエン・ザップ」の意味・わかりやすい解説

ボー・グエン・ザップ

ベトナムの軍人,政治家。仏領インドシナのクアンビン省に生まれる(1911年に生まれたとの説もある)。1924年フエの国立高等学校に入学。学生運動を組織して退校処分となる。その後インドシナ共産党に入党。1933年,旧インドシナ大学(現在のベトナム国家大学ハノイ校)に入学,法学,政治・経済を学ぶ。ハノイ市の中学校で歴史教師となる。1940年ホー・チ・ミンと出会い,第2次大戦中は抗日ゲリラを指導した。独立後ベトナム民主共和国(北ベトナム)の内相,国防相を歴任し,1947年以後ベトナム人民軍総司令官としてインドシナ戦争でフランス軍と戦う。1954年3月,ベトナム北西部ラオス高原のディエンビエンフーでの激戦を指揮して物量に勝るフランス軍に勝利し世界を驚かせる。1951年労働党中央委員会政治局員,1955年以後副首相,1960年以後国防評議会副議長としてベトナム戦争でアメリカ軍に勝利し南ベトナムの解放に成功する。20世紀の民族解放戦争を特徴づけるゲリラ戦の世界的な大家。1976年〜1991年ベトナム社会主義共和国副首相。政界引退後も,共産党政権の内部の汚職・腐敗を批判する公開書簡を続け,その率直な人柄も含め国民的な人気があった。没後異例の国葬が営まれた。

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改訂新版 世界大百科事典 「ボー・グエン・ザップ」の意味・わかりやすい解説

ボー・グエン・ザップ
Vo Nguyen Giap
生没年:1911-

ベトナム共産党最高指導者の1人。軍事戦略家として有名。クアンビン省の農家の生れ。1927年ころより共産主義運動に参加し,30年のインドシナ共産党結成と同時に入党したといわれる。40年ファン・バン・ドンとともに中国に赴き,そこで会ったホー・チ・ミンの指示に従って軍事問題を本格的に学び始めた。41年ファン・バン・ドンとともに帰国して抗日ゲリラ隊を組織し,44年12月にベトナム人民軍の前身であるベトナム宣伝解放隊を編成した。45年9月のベトナム民主共和国成立とともに内務大臣となり,46年国防大臣,47年人民軍総司令官となった。この間,ホー・チ・ミンの外国旅行中はたびたび大統領代理を務めた。彼の名を世界に広めたのは抗仏戦争末期の54年,ディエンビエンフーの戦での戦功である。54年7月のジュネーブ協定調印後,北ベトナムが実質的に独立国家として機能し始めたころから副首相となり,以来20数年間,党,政府,軍で重要ポストを兼任してきた。彼の著書,論文,演説集は数多く出版されており,日本でもその一部が翻訳・紹介されている。
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20世紀西洋人名事典 「ボー・グエン・ザップ」の解説

ボー・グエン・ザップ
Vo Nguyen Giap


1912 -
ベトナムの政治家,軍人,革命家。
元・ベトナム副首相。
クアンビン省生まれ。
別名武元甲。
ハノイ大学で歴史や経済学を学び、1927年頃から共産主義運動に参加し、’30年インドシナ共産党結成と同時に入党する。’40年中国に赴き、ホー・チ・ミンに師事し、’44年ベトナム解放武装宣伝隊を組織し、人民軍の基礎を築く。’45年ベトナム民主共和国の成立で内相となり、’46年国防相を経て、’47年人民軍総司令官となり、抗仏戦争を指揮する。’54年ディエン・ビエン・フー攻略の成功で戦略家としての名声を確立し、’55年副首相となる。’80年国防相を解かれ、’82年引退する。

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世界大百科事典(旧版)内のボー・グエン・ザップの言及

【インドシナ戦争】より

…第4段階の総反攻期は53年末,解放区での土地改革の成功をまって開始された。54年5月,ボー・グエン・ザップの率いるベトナム軍は,ラオス連絡線上のディエンビエンフー要塞を陥落させた。フランス側の軍事努力は限界に達し,政治解決が急速に進した。…

※「ボー・グエン・ザップ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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