一般にはフィリピンのスペイン語,英語,タガログ語で書かれた文芸作品の総称。 16世紀半ばに始まるスペイン統治以前は,口承文芸がその主流をなし,各地方諸部族の固有言語によって英雄物語,恋愛叙事詩,創世神話などが語り継がれていた。スペイン統治時代に入ると,中世スペインのバラードに範をとった叙事詩が栄え,とりわけ恋愛ロマンスのかたちに託して抑圧された一般民衆の心情をタガログ語でうたい上げたフランシスコ・バラグタス (本名 Francisco Baltazar,1788~1862) の『フロランテとラウラ』 Florante at Lauraがその白眉をなした。この時代の末期に活躍したホセ・リサールは植民地社会の諸矛盾を追及し,その閉塞状況からの解放とフィリピン人の自立とを2編の小説に託してスペイン語で説いた。この両者の政治姿勢と文学的手法,すなわちバラグタスの暗喩,婉曲法を用いたロマン的抵抗表現と,リサールの現実直視に基づいた直情的かつプロパガンダ的表現とが,以後のフィリピン文学の二大潮流を決定することになる。アメリカ統治時代に入ると,コスモポリタニズム的テーマと内容をもった英文短編小説が出現するとともに,一方では民族意識の覚醒を促し,独立を鼓舞するようなタガログ語による「扇動的政治劇」が登場した。 20世紀半ばのフィリピン共和国の誕生とともに英文作家たちが中産階級のアイデンティティとジレンマの問題を扱い始めたのに対し,タガログ語作家たちは一般大衆の抑圧と苦悩を取り上げ,フィリピン社会の精神的,文化的基盤を掘り起こすようになった。