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フレミア・ワロニー問題 フレミア・ワロニーもんだいProblem of Flemings and Walloons

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

フレミア・ワロニー問題
フレミア・ワロニーもんだい
Problem of Flemings and Walloons

ベルギー内政上の大きな障害となっている言語問題。ベルギー国内にはオランダ語圏に属するフレミア語 (フラマン語) を話すフラマン人 (約 550万人) とフランス語圏に属するワロニー (ワロン) 語を話すワロン人 (約 300万人) の2種の住民 (ほかにドイツ語系住民が若干) が,国を南北にほぼ2分する形で居住し,ベルギー特有の政治・社会問題をしばしば引起している。歴史的にみると,1831年独立後成立した憲法ではフレミア語とワロニー語の双方の使用が認められたが,オランダ統治時代の反動から独立後の数年間はワロニー語のみが公用語に採用された。その後フレミア語系住民の不満が高まり 98年には両言語の平等が確立され,以後改革が進み,1912年にはヘント (ガン) 大学が初めてフレミア語による大学とされ,14年にはフレミア語地域の小学校では同語を使用する法律が成立。 32年言語法により北部4州とブラバント州北部はフレミア語,南部4州とブラバント州南部はワロニー語,首都ブリュッセルは両言語と境界が明確にされ,地域別の公用語が決定した。しかし両地域の経済発展の差異と生活水準の格差が差別意識をうえつけ,それが社会問題に発展。第2次世界大戦前貧しい地域とされたフレミア語地域に戦後新しい工業施設が導入され,逆にワロニー語地域の石炭産業は衰退した。しかし一般に上流階級ではワロニー語を用いる傾向があり,これがフレミア語住民の不満の原因ともなっている。 63年公務員の同数採用,道路標識・公共施設の平等表示などが規定され,70年の憲法改正で内閣も首相を除き両地域同数の閣僚で構成するなどが決められたが,言語問題で 72年1月 G.エイスケン内閣が総辞職,91年 10月にもマルテンス中道左派連立内閣が総辞職するなど,言語上の紛争はいまだ解決をみていない。ただ,93年2月6日にベルギー議会が両言語別地域の政府と議会に大幅に権限を移譲し,中央政府・議会の権限を縮小する憲法改正案を可決したことは,この問題の解決に向けて一歩前進したことを意味している。

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