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ベルギー ベルギー Belgium

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ベルギー
ベルギー
Belgium

正式名称 べルギー王国 Royaume de Belgique (フランス語) ; Koninkrijk België (オランダ語) 。面積 3万528km2。人口 1097万1000(2011推計)。

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百科事典マイペディアの解説

ベルギー

◎正式名称−ベルギー王国Royaume de Belgique/Kingdom of Belgium。◎面積−3万528km2。◎人口−1104万人(2012)。
→関連項目アントワープオリンピック(1920年)

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世界大百科事典 第2版の解説

ベルギー【Belgium】

正式名称=ベルギー王国Koninkrijk België∥Royaume de Belgique∥Kingdom of Belgium面積=3万0528km2人口(1996)=1018万人首都=ブリュッセルBruxelles(日本との時差=-8時間)主要言語=フラマン語(オランダ語),ワロン語(フランス語)通貨=ベルギー・フランBelgian francヨーロッパ北西部にある立憲君主国。北はオランダ,東はドイツ,南東はルクセンブルク,南はフランスと境を接し,西は北海に面して65.5kmの海岸線を形づくりイギリスに対する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ベルギー
べるぎー
Kingdom of Belgium英語
Koninkrijk Belgiオランダ語
Royaume de Belgiqueフランス語
Knigreich Belgienドイツ語

北西ヨーロッパの立憲君主国。北海に面し、北部をオランダ、東部をドイツ、南部をルクセンブルク、西部をフランスに接している。面積3万0528平方キロメートル、人口1054万2000(2006推計)、1075万(2009推計)。国名は、ローマ時代にこの地に定住していたケルト人の一派ベルガエに由来するといわれる。ヨーロッパの十字路にあたる地理的位置のため、大別すると、北部はゲルマン系民族のフラマン人、南部はラテン系民族のワロン人からなる複合民族国家である。フラマン人はフラマン語、ワロン人はワロン語を用いるが、フラマン語はオランダ語と文法や正書法がほぼ同じであり、またフランス語の一方言であるワロン語も今日ではフランス語に同化されているため、公式にはオランダ語とフランス語が使用言語で、東部のドイツ語とともに公用語となっている。したがって、国名の正称ベルギー王国は、オランダ語でKoninkrijk Belgi、フランス語でRoyaume de Belgique、ドイツ語でKnigreich Belgienとなる。首都はブリュッセル。
 古くから交通の要地であるが、列強の拡張主義の犠牲となり、帰属がめまぐるしく変化した。今日では、EU(ヨーロッパ連合)およびNATO(ナトー)(北大西洋条約機構)の原加盟国であり、両組織の本部がブリュッセルに設置されているため、ヨーロッパ統合の中心地となっており、またEUの域外諸国のヨーロッパ進出戦略の要(かなめ)ともなっている。
 国旗は黒、黄、赤の三色旗で、それぞれの色は力、充実、勝利を意味し、1831年ブラバン公の紋章の色から採用された。国歌もブラバン州をたたえる『ラ・ブラバンソンヌ』La Brabanonneである。[川上多美子]

自然

地形・地質的には、国土は大きく三分される。
(1)北部低地 北海に面する約65キロメートルの海岸には砂丘が発達し、その内側には高度5メートルまでの海岸平野があり、ポルダー(干拓地)地域となっている。さらに内陸には、標高5~50メートルの砂質のフランドル平野が広がる。この平野は北フランスからオランダ南部に連なるもので、北フランスに発するスヘルデ川(スケルデ川)の水系に属する。また平野の東部には標高50~80メートルのケンペン台地があり、台地の南部はケンペン炭田となっている。
(2)中部低位台地 フランドル平野の南につながる標高50~200メートルの波状の起伏のある黄土質の肥沃(ひよく)な地域である。北東フランスに発するサンブル川、ムーズ川(マース川)がこの台地を東西に直線的に切断しており、この河谷には北フランスからドイツのアーヘンに延びる石炭層がある。河谷の南は標高200~350メートルの丘陵地帯で、黄土と砂質土からなる。
(3)アルデンヌ高原 標高500メートル以上のヘルシニア山系片岩質の古期山地で、隆起準平原となっている。東部のボトランジュはこの国の最高点で694メートル。高原の南のベルギー領ロレーヌは標高が300~400メートルとなる。
 西岸海洋性の気候区に属し、偏西風の影響が内陸に広く及ぶ。気温の年較差は少なめであるが、年変異は大きい。年降水量は平野・丘陵部で800ミリメートル、アルデンヌ高原で1200~1500ミリメートル程度。ブリュッセルの平均気温は1月3.1℃、7月17.9℃で、年降水量は823.0ミリメートルである。国土が北緯50度前後に位置するため、冬は日が短くどんよりと薄暗い日が多い季節となる。[川上多美子]

地誌

フランドル、中部丘陵地帯、アルデンヌ高原の三つに分けられる。[川上多美子]
フランドル
海岸部は砂丘の耕地化が進み、ポルダーは牧場化されている。オーステンデ、ゼーブルッヘのような海上交通の要地もあり、海浜の保養地域ともなっている。第二次世界大戦後の地域開発政策や1960年代のエネルギー革命の影響で、ベルギー第一の貿易港で第二の人口を抱えるアントウェルペン(アントワープ)の郊外から、運河や高速道路など、交通網の発達した内陸部にかけての地域が発展した。この地域に、アメリカやEU諸国などの外国資本が石油化学、機械組立て、電子機器などの工場を建設し、北海臨海地域の大小工業団地とともに新たな工業地域として、いまでは南部のサンブル・ムーズ河谷にかわってベルギー経済の中心地域となっている。フランドル平野部は土地改良が進み、野菜、花などの園芸作物やジャガイモ、テンサイの栽培、養豚などの小規模集約的混合農業地域である。中世の毛織物工業の伝統がある地域だが、今日ではヘント(ガン)の綿および化学繊維、コルトライクの麻、北西部のじゅうたん製作などの繊維工業は不況に苦しんでいる。東部のケンペン台地はかつてヒースの茂る荒地であったが、20世紀初頭の炭田開発以来、亜鉛などの金属加工業や化学工業が発達した。政府の開発投資もあり、アントウェルペンとリエージュを結ぶアルベール運河沿いに外資系自動車工場などが進出し、発展の目覚ましい地域である。[川上多美子]
中部丘陵地帯
この国の経済活動の中心部をなしてきた地域である。首都と南南東のシャルルロアを結ぶ線上は、繊維、金属、化学、食品加工の重要な工業地帯をなしている。またもっとも肥沃な土壌地域で、小麦、テンサイの生産や首都近郊では温室園芸がみられる。サンブル・ムーズ河谷は石炭産出と水運に恵まれ、ヨーロッパ大陸最初の産業革命の中心地となった。以来、製鉄、機械、ガラス工業などがリエージュやシャルルロアを中心としてベルギー最大、西ヨーロッパ有数の重工業地域として発達してきた。しかし、1960年代のエネルギー革命による炭鉱の閉山や1970年代の石油危機以降、これら業種の内陸立地の不利化で構造転換を迫られ、不況に苦しんできた。1984年以降、ヨーロッパ委員会やベルギー政府の援助を受け、ワロン地域政府は域内9大学や研究機関と連携する六つのサイエンスパークを創設した。研究開発や投資の奨励、企業への財政補助などにより、IT、バイオ、ナノテクノロジー等の分野で発展し、国際的バイオ企業も進出するようになった。ムーズ河谷南部のコンドロ丘陵地帯は国内でもっとも大規模経営の農業地域で、ライムギや飼料作物栽培が中心である。[川上多美子]
アルデンヌ高原
高原の約半分は針葉樹林で覆われ、冷涼・湿潤な気候でやせ地のため耕地は少なく、酪農、肉牛飼育、林業地域となっている。地形的に古代より交通・軍事の要衝であるため、中世から18世紀にかけて建設された要塞や貴族の城館が点在している。広大な森や渓谷美、伝統的な郷土料理とあわせ魅力的な観光地となっている。[川上多美子]

歴史

独立国家としての成立は1831年と新しいが、古い歴史のある地域で、古代にはケルト人の一派が居住していた。ローマ時代には、紀元前57年カエサルに征服され、属州ベルギカとしてローマ化が進み、キリスト教が伝えられた。ローマ帝国の滅亡とともに、ゲルマン人が北部に住むようになってフラマン語を使用し、ロマンス語系の一つワロン語を話す人々は南部に居住するようになった。こうして紀元後4世紀ごろ成立した民族と言語の分布は、ほぼ変化することなく今日に至っている。十字軍をきっかけとして遠隔地貿易が盛んになる12~13世紀には、ワロン人の金属工、フランドルの毛織物工たちがギルドを通じて封建領主らと対抗する実力を得、自治都市が発達し、ハンザ同盟に参加するものも出現した。やがて都市内部、都市と農村の対立などで紛争が続き、フランドルの職工たちはイギリスに移住し、毛織物工業の中心は移動する。14世紀末から15世紀にかけて現在のベルギーの地にフランスのブルゴーニュ公の力が伸びてくる。この支配下で国としてのまとまりの基礎ができたといわれ、経済的、文化的にベルギーの地がもっとも繁栄した時代であった。その後、列強の勢力争いや支配者たちの結婚・相続などの結果、スペイン・オーストリア(ハプスブルク家)の支配を経て、1795年フランス革命政府軍の占領下に入った。ナポレオン1世失脚後のウィーン会議で、ネーデルラント王国の一部としてオランダに併合された。だがオランダ国王ウィレム1世は極端な北部ネーデルラント優先主義の統治をし、また王権の強化がカトリック教会への介入につながることを南部の人々は恐れ、反発が強まっていった。このなかで、フランスに七月革命(1830)が起こるとその影響を受けた市民がブリュッセルで暴動を起こし、工場打ち壊し運動も全国に広まるが、政府にはこれを鎮める力がなく、有産市民軍が治安を回復し、実権を握るに至った。これに対しオランダ国王は武力による鎮圧を試みたため南部の人々は王軍を撃退し、ベルギーの独立を宣言、ドイツのザクセン・コーブルク(サックス・コバーグ)家のレオポルドを国王に迎えた。1831年ロンドン会議で、ベルギーの独立と永世中立が列強によって承認された。オランダが最終取り決めに調印したのは、ようやく1839年になってからである。
 独立後の1840年ごろには、ヨーロッパ大陸で最初に産業革命を達成し、ヨーロッパ有数の工業国となった。1870年代ごろからは、ロシア、エジプト、中国、メキシコなどに、鉄道建設、製鉄工業などで進出した。一方、1885年には、当時の列強の植民地獲得競争のなかで、国王レオポルド2世は個人の資格で本国の約70倍の面積をもつコンゴ自由国(ベルギー領コンゴ、のちにコンゴ共和国、コンゴ民主共和国、ザイール共和国、1997年からコンゴ民主共和国と国名が変化)を領有した。王の植民地経営に問題が生じると、1908年コンゴはベルギー王国に移管され、ソシエテ・ジェネラル銀行や銅・コバルト開発会社ユニオン・ミニエール社(2001年ユミコアに社名変更)などが進出し、1960年のコンゴ共和国(独立時の国名)独立承認まで約半世紀、本国に多くの利益をもたらすこととなった。
 建国時の永世中立政策は二度の世界大戦でドイツ軍に無視された。第二次世界大戦後の1948年には、戦前のルクセンブルクとの関税同盟をベネルックス関税同盟としてさらに発展させた。国内的に民族対立の難題や経済再建の問題を抱えつつも、ECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)、EEC(ヨーロッパ経済共同体)、EC(ヨーロッパ共同体)、EU(ヨーロッパ連合)など一連の西ヨーロッパ統合に積極的役割を果たし、その他の国際機構にも広く参加し、国際協調の道を歩んできた。[川上多美子]

政治

政治制度は、1831年に制定され数次の改正を経た憲法に基づく立憲君主制であるが、1970年以来、23年間の年月と4回の憲法改正を重ねて、1993年に「共同体と地域からなる連邦国家」となった。国王を元首とする立憲君主制の連邦国家である。国王は1991年の憲法改正で男女による世襲制となり、1993年にアルベール2世が即位した。王は上下両院と権力を分担し、大臣の同意なしには権力の行使ができず、公平なる仲裁人の役割を果たす。
 連邦府は最高15人の大臣からなる。司法制度、通貨政策、財政、社会保障、福祉、軍隊、警察、原子力行政、外交などの権限を有していたが、2001年そのほとんどを地域に移管する法案が成立した。連邦議会は二院制で、下院が上院より強い権限をもつ。下院は普通選挙で直接選出される150人の議員からなる。上院は複雑な構成の71人の議員からなり、言語共同体間の主要な対話の場となっている。フラマン人の要求から成立した言語別の「共同体政府」はオランダ語共同体、フランス語共同体、ドイツ語共同体からなる。それぞれの共同体は文化、教育、報道、医療制度(健康保険は除く)などに関する権限をもち、直接選挙による議会と行政府をもつ。またワロン人の要求で成立した「地域政府」はフランデレン、ブリュッセル首都圏、ワロンの三つからなる。地域開発や都市計画、環境保護、雇用、農業、エネルギー政策(原子力を除く)、公共事業などの権限をもつ。フランデレンでは共同体政府と地域政府が合併(フランデレン統合共同体)し、両者に共通の責任をもつ一つの議会と一つの行政府で運営されている。
 政党活動は、フランデレン地域においてはキリスト教民主党、社会党、自由進歩党、フラームス・ベラング(フランダースの利益)などが、ワロン地域では社会党、キリスト教民主党、自由進歩党、環境保護派のエコロなどが、ブリュッセル地域にはこれらの諸政党に加え、仏語派民主戦線がある。
 司法機関は、236の小司法区の治安裁判所、26の第一審裁判所、10の州都の高等巡回裁判所、ブリュッセル、ヘント、リエージュの控訴院、最高機関としての破毀(はき)院から構成されている。
 全国は10州に分かれ、州知事は国王が任命する。州議会は比例代表制によって選出された4年任期の議員で構成される。自治体の最下部に、伝統的に強い自治権をもつコミューヌ(市町村にあたる)があり、かつて2586を数えたが、1977年の合併で589に統合された。
 外交・領事関係を結ぶ各国との協調による安全保障の確保と自国の地位の向上を目ざしており、EUおよびNATO体制を通じて、西ヨーロッパ各国との協力とヨーロッパ統合の推進を重点政策としている。2009年12月、EU新基本条約(リスボン条約)により新設されたEU大統領(ヨーロッパ理事会常任議長)に元首相ファン・ロンパウHerman Van Rompuy(1947― )が就任した。旧植民地のコンゴ民主共和国、旧信託統治地域であったルワンダとブルンジに対しては、独立前後の紛争で困難な関係の時期もあったが、開発のための資金・技術協力、研究・実習奨学資金制度によって強い結び付きを保っている。また近年、アジア新興国も重視する政策をとるようになった。国防の基礎としては、二度の世界大戦で占領された経過から集団安全保障を重視している。フランスからのNATO軍撤退後は、1967年に事務局をブリュッセルに、最高司令部をモンス近郊に迎え、西ヨーロッパ防衛の中心地的役割を担っている。総兵力は約3万8800、うち陸軍1万4300、海軍1600、空軍7300、医療1900、統合軍1万3700(2009)。1994年から徴兵制は廃止された。国連PKOに積極的に参加している。[川上多美子]

経済・産業

かつて石炭資源に恵まれていたが、産炭コストが高くつくムーズ炭田はECSC加盟後の合理化政策のなかで次々と閉鎖された。エネルギーの外国依存度は76%で、エネルギーの消費構造は石油系40%、ガス36.2%、石炭12.6%、電力そのほかとなっている(2005)。かつて鉄鋼業が工業の中心であったが、エネルギー費の高騰、世界的需要の後退、外国との競合、労働費の高さなどで生産は減退した。主要工業製品は金属製品、機械、食品、化学製品、織物、ガラス、家具、鉄鋼、印刷・出版物などである。第二次産業就業者の割合は23.9%(2006)で、この部門の労働者を中心に失業率も7.0%(2008)と高い。
 国土の約28.7%が農業用地(うち牧場・牧草地17.2%)で、森林は約22.1%である。第一次産業就業者の割合は2.0%(2006)で、国の経済に占める割合は低い。構造改善事業で合理化と経営規模の拡大を奨励してきたが、農業従事者1人当り農地22ヘクタール(2006)で、EU諸国のなかでも中小自営農民が多い国である。だが生産性は高く、食料自給率は約80%。主要生産物はテンサイ、ジャガイモ、豚肉、乳製品、亜麻で、球根、花木の苗などは重要な輸出品となっている。
 貿易は加工貿易型で、国内総生産(GDP)に対する輸出の割合(輸出依存度)は95%、輸入額の割合(輸入依存度)は91%(2007)と世界でもっとも貿易依存度の高い国の一つである。2007年の輸出は4307億7900万ドル、輸入は4131億6300万ドルとなっている。主要輸出品は自動車、医薬品、化学薬品、一般機械、鉄鋼、ダイヤモンドなど、主要輸入品は自動車、医薬品、化学薬品、一般機械、電気機械、ダイヤモンドなどである。とくにダイヤモンド産業はユダヤ人を中心に世界の原石の約70%がアントウェルペンで取引され、開発された高度な技術で研磨されている。貿易相手国はドイツ、オランダ、フランス、イギリスを主とするEU諸国とアメリカである。
 通貨単位はユーロ。GDPは4545億8000万ドル(2007)。財政赤字は1975年以降急増、1999年1月からのヨーロッパ経済通貨同盟(EMU)参加の条件として、財政赤字を国内総生産の3%以下にしなければならず、社会保障費、産業補助金の削減、課税強化などの財政政策を実施してきた。2004~2008年の経済成長率は年平均2.3%であった。
 1835年ブリュッセル―メヘレン(メケレン)間にヨーロッパ大陸初の鉄道が建設された歴史をもち、鉄道網の密度は1950年をピークに世界有数であった。合理化で路線は縮小され、1926年以来国有化されている。またブリュッセルからTGV(テージェーベー)(フランスの超高速列車で、国内外に鉄道網を拡充しつつある)でパリへ約1時間半、英仏海峡トンネルを経由する列車ユーロスターでロンドンへ約2時間20分など、西ヨーロッパ主要都市間の連絡は大変便利である。内陸水路は北のスヘルデ川と南のムーズ川の水系を中心に19世紀末から建設され、内陸工業地帯発展に大きな役割を果たした。総延長1560キロメートル(1984)、うち約20%は1000~1500トンの船が航行可能である。道路網も第二次世界大戦後急速に発達、EUの発展に伴い隣接諸国の主要都市を結ぶ国際高速道路や接続する国内高速道路が拡大している。航空はベルギー政府とスイス航空が資本参加していたサベナ・ベルギー航空が国際線に就航していたが、2001年にスイス航空の経営悪化に伴い破産した。2002年、民間の後継会社SNブリュッセル航空が機材や路線の一部を引き継いで就航した。2007年にSNブリュッセル航空はバージン(ヴァージン)・エキスプレスと合併してブリュッセル航空となった。ヨーロッパ約50都市、アフリカ14都市(2009)に就航している。[川上多美子]

社会

国民は、北のオランダ語系(フラマン人)57.9%、南のフランス語系(ワロン人)31.8%、首都地域の両語系9.6%、第一次世界大戦後ドイツより割譲された東部のドイツ語系0.7%から構成されている(2003)。人口増加率は北において高く、南は停滞的である。今日ではオランダ語、フランス語、ドイツ語の3言語が公用語とされ、政府出版物は紙幣も含めすべてオランダ語・フランス語両語で表記されている。しかし国家独立時には、憲法上オランダ(フラマン)語、フランス(ワロン)語とも対等に認知されてはいたものの、当時人口数でも経済力でも南部優勢であったので、事実上フランス語が公用語とされた。その後、北部の人々の粘り強いフラマン語の公認化運動があり、1898年オランダ(フラマン)語も公用語とされた。
 その後も言語問題は続き、1950年代から争いが激化した。1963年の言語法による3言語地域の規定を経て、1967~1971年の憲法改正により、オランダ語地域、フランス語地域、ドイツ語地域、首都ブリュッセルの両語地域(ブリュッセルはオランダ語圏に位置するが、首都機能や経済活動上、フランス語系住民が増加している)と、4言語地域の画定が行われた。また国会は各言語地域の文化・教育行政の自治権を、上下両院の議員で構成される各文化評議会に与えた。1968年には、1425年創立のルーフェン(ルーバン)・カトリック大学のフランス語系部門が分離・独立して首都南方のフランス語地域へ移された。さらに1978年には再度の憲法改正が行われ、フランデレン(オランダ語地域)、ワロニー(フランス語地域)、ブリュッセル首都圏の3地域に、より大きな自治権を与えることになった。その後連邦制が1993年に発足し、言語共同体や地域共同体に多くの権限が与えられ、民族対立の解消のためさまざまな努力がなされているが困難をきわめ、政治の不安定が続いている。
 国民の経済的・文化的水準は高いが、1970年代以降は経済不況のなかで伸び悩み、1944年法制化された社会福祉の充実した諸制度も、国家の財政難を受けて見直しが検討された。教育は、1914年以来、6~14歳まで義務教育であったが、1983年に6~18歳に改められた。公立学校とカトリック系を主とする私立学校があり、教育の非宗教化や国家補助をめぐって両者は対立してきたが、1958年から補助は平等化された。中等教育機関は多様化している。高等教育機関には、ヘント、リエージュ、モンス、アントウェルペンなどの国立総合大学と、ルーフェン・カトリック、ブリュッセル自由、アントウェルペンなどの私立総合大学のほかに、多くの国立や私立の単科大学がある。宗教は、国民の約80%がカトリックで、ほかにプロテスタント、ユダヤ教徒、イスラム教徒などがいる。[川上多美子]

文化

歴史的にオランダやフランスと同一視されることが多いが、ローマ時代からの歴史的風土であるうえ、ラテン、ゲルマン両民族の接点となっているため、両系統の文化が重層をなし、奥深く多様性に富んだものとなっている。国民性は、オランダ語系、フランス語系の区別なく、勤勉で常識を尊重し、自立心が強く、芸術に対する感受性が強い。
 中世には都市が繁栄し、富裕商人や貴族たちが保護者となってファン・アイク、メムリンク、ブリューゲル、ルーベンスなど、いわゆるフランドル派の画家を生み出した。また教会、市役所、同業者組合などの優れた建造物もこの時期にできたものである。科学技術の分野では16世紀の近代解剖学の父といわれるベサリウス、地図学者メルカトルも特筆される。
 独立後の美術分野ではクノップフ、アンソール、デルボー、マグリット、建築ではアール・ヌーボーの父といわれるオルタ、文学ではノーベル文学賞のメーテルリンク、今日世界三大音楽コンクールの一つとされるエリザベート(エリザベト)王妃国際音楽コンクール創設に尽力したエリザベート(エリザベト)皇太后、第二次世界大戦後の難民救済諸事業に対しノーベル平和賞を受けたピール神父らが注目される。
 代表的日刊紙にはオランダ語系、フランス語系の2紙があり、いずれも政党色が強い。そのほかドイツ語紙が1紙と郷土色をよくあらわす地方紙も多く発行されている。テレビ・ラジオ放送は国営放送が中心であるが、1977年以降3言語地域で分離独立し、各言語による放送が行われている。[川上多美子]

日本との関係

日本とベルギーとの国交は、1866年(慶応2)の修好通商航海条約締結から始まったが、両国関係が緊密化するのは第二次世界大戦後のことである。EC発足以来、日本の自動車などの機械メーカーや商社が対ヨーロッパ戦略の要(かなめ)として進出し、152社(2008)が活動している。両国間の貿易額は双方にとっての重要性は少ないが、ベルギーから日本への輸出は2273億6000万円に対し、日本からの輸入は9293億4700万円であり(2007)、ベルギーの大幅な輸入超過となっている。日本の主要輸出品は一般機械、電気機器、乗用車、自動車部品など、ベルギーからの主要輸入品は医薬品、ダイヤモンド、電気機器、食品(チョコレート、ビール)、有機化合物などである。[川上多美子]
『今来陸郎編『世界各国史7 中欧史』(1971・山川出版社) ▽木内信藏編『世界地理7 ヨーロッパ』(1977・朝倉書店) ▽花見忠、J・デャモイエ著『ベルギー日系企業の労使関係』(1979・日本労働協会) ▽栗原福也著『世界現代史21 ベネルクス現代史』(1982・山川出版社) ▽日本貿易振興会編・刊『貿易市場シリーズ260 ベルギー』(1985) ▽C・スィヤール著、谷昌親訳『ベルギーの美術』(1985・同朋舎出版) ▽磯見辰典、黒沢文貴、桜井良樹著『日本・ベルギー関係史』(1989・白水社) ▽森洋子著『ブリューゲルの「子供の遊戯」』(1989・未来社) ▽宮下南緒子著『晴れた日のベルギー』(1994・丸善) ▽栗原福也監修『オランダ・ベルギー』(1995・新潮社) ▽ジョルジュ・アンリ・デュモン著、村上直久訳『ベルギー史』(1997・白水社) ▽玉井美子・篠利幸著『ベルギーの小さな旅』(1997・東京書籍) ▽下条美智彦著『ベネルクス三国の行政文化 オランダ・ベルギー・ルクセンブルク』(1998・早稲田大学出版部) ▽森田安一編『スイス・ベネルクス史 新版世界各国史14』(1998・山川出版社) ▽山田雅彦著『中世フランドル都市の生成 在地社会と商品流通』(2001・ミネルヴァ書房) ▽A・フルヒュルスト著、森本芳樹、藤本太美子、森貴子訳『中世都市の形成 北西ヨーロッパ』(2001・岩波書店) ▽アンドレ・ジョリス著、瀬原義生監訳、守山記生他訳『地域からみたヨーロッパ中世 中世ベルギーの都市・商業・心性』(2004・ミネルヴァ書房) ▽小島健著『欧州建設とベルギー 統合の社会経済史的研究』(2007・日本経済評論社)』

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世界大百科事典内のベルギーの言及

【オランダ】より

…16世紀後半の建国以来ホラント州(現在の南・北ホラント両州)がこの国の政治,経済,文化の中心であったため,〈ホラントHolland〉とも呼ばれる。東は西ドイツ,南はベルギーと国境を接し,北と西は北海に面して長い海岸線を形づくる。国名のネーデルラントは〈低い国〉の意で,現在も国土の約4分の1は標高0m以下にある。…

【フラマン語】より

…ベルギー王国の北半分で話されるオランダ語の通称。ベルギーにおけるフランス語と並ぶ公用語であり,約550万人(1977)により使用される。…

【ベルガエ】より

…また,ベルガエの一部は前75年ころおよびカエサルのガリア征服の際,イングランド南部に渡り,カトゥウェラウニ族Catuvellauniを中心にローマのブリタニア侵略に抵抗した。なお現在の国名ベルギーはこの語に由来する。【後藤 篤子】。…

※「ベルギー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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