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ワロン人 ワロンじんWalloon

翻訳|Walloon

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ワロン人
ワロンじん
Walloon

ベルギーの南半分に住むケルト系住民で,ベルギーの全人口の約 32%,約 350万 (1990年代) を占める。フランス語の一方言であるワロニー方言を話す。ベルギー北半分に居住するゲルマン系のフラマン人オランダ語の一方言フラマン語を話し,風俗もオランダに似て農民が多いが,ワロン人の風俗はフランスに近く,都市のにない手である。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ワロン人
わろんじん
Wallonese

ベルギー南半で用いるワロン語を母語とする人々。ベルギー全人口の約3分の1を占めるとみられ、ほとんどがカトリック教徒である。ワロン系住民の居住地域(ワロニア)は、リエージュを中心とする工業地帯ドイツ・フランス国境に近いアルデンヌ高原とからなる。この地域はローマ時代以降、ラテン(ラテン化したケルト)文化の北端にあたり、北接するゲルマン系住民との文化的相違を長く意識してきた。しかし、現在の民族的感情には近代史の影響が大きい。18世紀末にヨーロッパ大陸最初の産業革命が資源に恵まれたワロニアで始まると、ワロン人が近代ベルギー王国の指導権を握った。一方、とくに1870年代から、経済的に遅れていたフラマン系住民の人口が急増してその政治的自覚が高まると、先発的ワロン、後発的フラマン両系住民の民族的対立感情が強まった。第一次世界大戦後以降、政治的不安定にまで発展したワロン、フラマンの民族的対立を緩和する目的で1930年代から制度化され、1963年の言語法制定でいちおうの完成をみた言語平等主義にもかかわらず、60年代以降のワロニア工業の不振も作用してワロン人意識が「フラマン人」との対立を生む状態にあった。このような両者の拮抗(きっこう)が続いた結果、1993年、ベルギーは言語別の三つの「共同体」と、三つの「地域」からなる連邦国家に移行した。[佐々木明]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内のワロン人の言及

【ベルギー】より

…冬には北風が吹くが,全体としては偏西風が優越している。
【住民,言語,宗教】
 ベルギーは,ゲルマン系のフラマン人Flamand(フランデレン人)とラテン化したケルト系のワロン人Wallonの二つの民族からなる複合民族国家であるが,スイスやカナダのような連邦制を採用していない。もともと,現在のベルギーの地域はラテン化したケルト人の居住地であったが,ローマ帝国末期から10世紀までの間に北部や東部からゲルマン人が移住し,西フランドル州ムースクロンMouscronからリエージュ州ラネーLanayeまでほぼ東西に延びる言語境界線は,それ以来ほとんど変わることなく続いている(図)。…

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