ブラックモン(その他表記)Félix Bracquemond

改訂新版 世界大百科事典 「ブラックモン」の意味・わかりやすい解説

ブラックモン
Félix Bracquemond
生没年:1833-1914

フランスの画家。調馬師,石版工房の雇いなどを経てギシャールJ.Guichardに絵画を学び,1852年サロン(官展)に初出品。59年マリー・キボロンMarie Quivoron(1841-1916)と結婚。彼女はアングル弟子で,1874年のサロンに初出品後,第4回印象派展(1879)に参加し,カサット,モリゾーらとともに印象派の女流画家として名高い。ブラックモンは,しだいに油彩より版画に関心を移し,第1回印象派展(1874)に,多様な技法主題の版画を出品する。第4回展ではフランスで初めて色彩版画を発表。この技法に興味をもったドガ,ピサロたちと版画誌の創刊に努力している。第5回展(1880)にも出品。62年創立の版画協会の初代会長として,近代版画の確立に果たした役割は大きい。またきわめて早く浮世絵など日本近世の美術に注目した一人であり,さらに陶器の絵付けによって近代陶器装飾の先駆者となっている。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ブラックモン」の意味・わかりやすい解説

ブラックモン
Bracquemond, Félix

[生]1833.5.22. パリ
[没]1914.10.29. パリ
フランスの画家,版画家。 15歳のとき石版制作の徒弟として働き,H.ホルバインや E.ドラクロアの石版を彫った。 J.ギショーに師事。 1852年のサロンに自画像を初出品。その2年後から版画を出品。鳥獣を好んで描き,風景画のなかにもしばしば,かも,がちょう,つばめ,羊,うさぎ,ねずみなどを描いた。 E.マネや印象派の若い画家たちと交わり,彼らに版画を教え,また早くから浮世絵のほか日本の江戸美術に注目した。油彩にはゴンクールの肖像画などがある。また織物製本のデザインをし,陶画も描いた。著書『デッサンと色彩について』 Du dessin et de la couleur (1885) など。

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世界大百科事典(旧版)内のブラックモンの言及

【ジャポニスム】より

…さらに日本の開国とともに,江戸時代の美術工芸品が直接流入するようになり,中国とはちがった日本文化の特色が注目され,さらに,その美術工芸品に内在している固有の美学をフランスの文化・芸術に適用しようとする姿勢も生まれた。 1856年パリの版画家ブラックモンが,版元ドラートルA.Delâtreのところで陶器の包装詰物に使われて偶然送られてきていた《北斎漫画》を発見し,そのデッサンのすばらしさに驚嘆し,これを友人の画家マネ,ドガ,ホイッスラーや批評家シャンフルーリ,ビュルティP.Burtyなどに伝えたところから,やがて印象派を形成することとなる一群の若い画家たちの間に,日本美術に対する異常な関心が発生したといわれている。その真偽については異論がないわけではないが,60年代のブラックモンの作品のなかに,明らかに広重の《魚尽し》や《北斎漫画》から引用した図柄が現れたり,ホイッスラー,マネ,ティソJames Jacques‐Joseph Tissot(1836‐1902)などの絵画作品にジャポネズリーを描き加える例が目だつことは事実である。…

※「ブラックモン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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