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ブルギーバ

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百科事典マイペディアの解説

ブルギーバ

チュニジアの政治家。若くしてドゥストゥール党に入党。フランス留学後,1934年新ドゥストゥール党を結成して独立運動を主導。1956年独立と同時に首相,1957年王制を倒して初代大統領,1975年終身大統領となった。
→関連項目チュニジア

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世界大百科事典 第2版の解説

ブルギーバ【Burgība】

1903‐2000
チュニジアの政治家。アラビア語ではアブー・ラキーバAbū Raqība。モナスティールに生まれ,ソルボンヌで法律を学んだ。チュニス弁護士を開業するとともに政治活動に入り,1934年に立憲自由党(ドゥストゥール党)を結成して以来,弾圧を受けながら民族運動を指導し,56年にチュニジアの独立を達成した。同年首相に就任したが,翌57年の共和制移行とともに大統領になり現在にいたっている。ドゥストゥール党(1964年に社会主義ドゥストゥール党と改称)の党首を兼ね,権力を一身に集中しているが,外交では親西欧的穏健路線をとり,内政では経済と社会の近代化を推進した。

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世界大百科事典内のブルギーバの言及

【チュニジア】より

…民族運動の高揚期は三つの波に分かれる。すなわち第1の波は第1次大戦後のチュニジア立憲自由党(ドゥストゥールDustūr党)が指導した立憲君主制の憲法を要求する運動,第2の波は,1930年代半ばに,同党を除名され,同名のドゥストゥール党(ブルギーバ派,新ドゥストゥール党ともよばれる)を結成しその指導者として台頭したブルギーバが率いた大衆的な反植民地支配運動,第3の波は第2次大戦後の独立運動である。フランス政府はいずれも弾圧をもって臨んだが,50年代に入ってドゥストゥール党は労働組合ほかの大衆運動,都市テロ,農村ゲリラ戦術によって圧力をかけ,55年6月に内政上の自治,翌56年3月に完全独立を達成した。…

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