プレオブラジェンスキー(英語表記)Evgenii Alekseevich Preobrazhenskii

改訂新版 世界大百科事典 「プレオブラジェンスキー」の意味・わかりやすい解説

プレオブラジェンスキー
Evgenii Alekseevich Preobrazhenskii
生没年:1886-1937

ソ連邦の政治家,経済学者。1903年以来の共産党(当初はロシア社会民主労働党党員。20年の第9回共産党大会で中央委員に選ばれ,政治局員,組織局員,書記局員を兼ねた。労働組合論争でトロツキー派についたため21年の第10回党大会では中央委員に再選されず,以後主として経済畑で活動した。1920年代を通じてトロツキー派の経済政策面での主要な理論家で,特にいわゆる〈社会主義的原始蓄積〉論で有名。27年に反対派として党を除名され,以後再入党と再除名を繰り返した。35年と37年に逮捕されたが,公開裁判での自白強要に応じず,秘密裏に処刑されたと伝えられる。主著ブハーリン共著の《共産主義ABC》(1919),《新しい経済》(1926)などがある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「プレオブラジェンスキー」の意味・わかりやすい解説

プレオブラジェンスキー

ロシアの政治家,経済学者。聖職者の家庭に生まれ,1901年より学生運動に参加,1903年共産党の前身であるロシア社会民主労働党に入った。1917年のロシア革命時にはチタで活躍し,1920年の第9回共産党大会で中央委員に選ばれ,政治局員,組織局員,書記局員を兼ねた。1921年の第10回党大会を前に党内で〈労働組合論争〉が起き,トロツキー派についたため中央委員に再選されず,以後はトロツキー派の経済政策面での理論家として活躍。〈社会主義的原始蓄積〉論で知られた。1927年スターリンの反対派として党を除名され,以後再入党と再除名を繰り返した。その後逮捕されて秘密裏に処刑されたといわれている。著書に《共産主義のABC》(1919年,ブハーリンとの共著),《新しい経済》(1926年)などがある。

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「プレオブラジェンスキー」の意味・わかりやすい解説

プレオブラジェンスキー
ぷれおぶらじぇんすきー
Евгений Алексеевич Преображенский/Evgeniy Alekseevich Preobrazhenskiy
(1886―1937)

ソ連の経済学者。1920年代にトロツキー派の代表的論客として活躍し、とくに工業化論争で「社会主義的原始蓄積」論を展開したことで知られる。1903年、当時のロシア社会民主労働党に入党、革命後、20年代には党中央委員も務めたが、27年に除名された。のち復党し、34年の第17回党大会で発言した記録が残っているのが最後で、37年に粛清されたと信じられている。

[佐藤経明]

『救仁郷繁訳『新しい経済』(1967・現代思潮社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「プレオブラジェンスキー」の意味・わかりやすい解説

プレオブラジェンスキー
Preobrazhenskii, Evgenii Alekseevich

[生]1886
[没]1937
ソ連の政治家,経済学者。 1904年ボルシェビキに加入,20年党中央委員,党組織局員,党書記となった。党内民主主義確立を主張して 21年にその地位を追われたが,「労働者民主主義」を要求し続け,また重工業の急速な発展を中心とする「社会主義的原始蓄積」の概念を展開。 27年トロツキー派として党から追放されたが,29年自己批判して復党。 37年裁判を経ず粛清された。主著『共産主義の ABC』 Azubka kommunizma (1921,ブハーリンと共著) ,『新経済』 Novaya ekonomika (26) 。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

大臣政務官

各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...

大臣政務官の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android