ロシア連邦東部,同名州の州都。人口30万8492(2004)。1653年よりインゴジンスコエIngodinskoe越冬部落として知られるようになり,1706年チティンスコエChitinskoe村と改称,コサックおよび毛皮獣狩猟者が多く住んだ。19世紀前半にはデカブリストがこの地で苦役に服したことで有名になる。1851年市となり,ザバイカル州の行政の中心となった。1900年にはこの町を通るシベリア鉄道のザバイカル線が建設され,工業,とくに金の採掘と林業が盛んとなる。05年の革命に際しては,兵士・コサック代表ソビエトが結成され,05年12月から06年1月にかけて〈チタ共和国〉が樹立されたが,政府軍によって壊滅させられた。十月革命後の18年9月から日本軍と白衛軍(セミョーノフ軍)によって占領されたが,20年10月パルチザンによって奪還され,22年11月まで〈極東共和国〉の首都となった。以後,旧ソ連邦東シベリアの産業・文化の一中心として成長し,機械製造,自動車組立て,食品加工,家具製造などが盛んである。
執筆者:外川 継男
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ロシア連邦中部、チタ州の州都。ザバイカル(バイカル湖東部)のインゴダ川に支流チタ川が合流する地点にある。シベリア鉄道に沿い、自動車道の中心で空港もあり、交通の要地。人口31万4300(1999)。付近で褐炭を産し、機械製造(自動車組立て、工作機、機関車・車両修理)、軽工業(家具・木工、毛織物、皮革・履き物、毛皮)、食料品(製粉、精肉、乳業)などの工業がある。起源は1653年建設の冬営所で、1690年に村となり、99年に柵(さく)(要塞(ようさい))が建設され、そこへ1827年デカブリストが流刑された。1851年に市となり、1900年にザバイカル鉄道が開通。1920~22年の間は極東共和国の首都。
[三上正利]
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