アメリカの大衆音楽が生んだ戦後最大のスター。南部黒人音楽の中心地メンフィスで貧しい白人労働者家庭に育ち,黒人のリズム・アンド・ブルースをまねて歌ったのが,ロックンロールの創始者の一人としての栄光につながった。1954年に初めてのレコード《ザッツ・オールライト・ママ》を録音した。それがきっかけで広く認められ,56年に《ハートブレーク・ホテルHeartbreak Hotel》の大ヒットを放ち,ロックンロールのブームを世界中に巻き起こした。その後も《冷たくしないで》《ラブ・ミー・テンダー(やさしく愛して)》などの大ヒットを連発。58年から60年までの兵役による活動中断後は映画出演が多くなり,歌手としても幅広い層を狙った保守的な行き方へと転換した。すでに映画界へは1956年《やさしく愛して》でデビューしていたが,60年代にはドン・シーゲル監督による《燃える平原児》(1961)のほか,ヒット曲をからめた《ブルー・ハワイ》《ガール!ガール!ガール!》《ラスベガス万歳》など多くに出演した。これらの多くは明るく健康な好青年が,恋と冒険に活躍する単純なストーリーで,興行的には成功したものの,しだいに衝撃力が弱まった観があった。しかし,68年以降,テレビの特別番組や,ラスベガス・インターナショナル・ホテルのショーで成功を収め,同じショーを記録した映画《エルビス・オン・ステージElvis On Stage》(1970),ホノルル公演の世界宇宙中継など華やかな活動で王者復活の話題をまいた。しかし過酷なスター生活のなかで健康をむしばまれ,42歳で死去した。
執筆者:中村 とうよう
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…50年代半ばには,白人のカントリー・ミュージックと黒人のリズム・アンド・ブルースが合成されてロックンロールrock’n rollが生まれる。さらにカントリー歌手エルビス・プレスリーが,よりカントリーの要素を強めてロカビリーrockabilly(rockとhill‐billyの合成語。ヒルビリーはカントリー・ミュージックないしその泥臭いものをいう)をつくり出し,黒人世界よりもはるかに広い聴衆を獲得することになる。…
…監督リチャード・ブルックス)に用いられたのがきっかけで,大ヒットとなった。 54年にはまた,エルビス・プレスリーも最初のレコードを出した。彼は当時,南部の黒人音楽の中心地メンフィス市で電気会社の運転手をしていたが,地元の小さなレコード会社から《ザッツ・オール・ライト・ママThat's All Right,Mama》を出した。…
※「プレスリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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