精選版 日本国語大辞典 「プロイセン王国」の意味・読み・例文・類語
プロイセン‐おうこく‥ワウコク【プロイセン王国】
- 一七〇一年、プロイセン公を兼ねたブランデンブルク選帝侯フリードリヒ三世が王号を許されて成立した王国。ホーエンツォレルン家は一四一五年以降選帝侯としてブランデンブルク侯国を領有していたが、一六一八年プロイセン公国を相続してブランデンブルク‐プロイセンの同君連合が成立。一七〇一年ブランデンブルク選帝侯フリードリヒ三世は王号を許されてプロイセン国王フリードリヒ一世となった。以来、フリードリヒ二世の時代にはオーストリアと対抗する強国に成長したが、一九世紀初頭ナポレオンのフランスに敗れ、この敗戦を契機にプロイセン改革を行ない近代化を促進、経済的発展を達成して、一八六六年の普墺戦争でオーストリアを降し、ドイツの主導権を握る。一八七〇年の普仏戦争の結果、ドイツ帝国を成立させてプロイセン国王ウィルヘルム一世がドイツ皇帝に即位した。第一次世界大戦に敗れたためドイツ帝国は解体しプロイセンはワイマール共和国のもとでの一共和国となったが、ナチス支配下で消滅。第二次世界大戦後、国土は大部分がドイツ民主共和国(東ドイツ)とポーランドとに分割された。