ヘルウェーク(その他表記)Georg Herwegh

改訂新版 世界大百科事典 「ヘルウェーク」の意味・わかりやすい解説

ヘルウェーク
Georg Herwegh
生没年:1817-75

ドイツ詩人シュトゥットガルトに生まれる。チュービンゲン神学校を放校処分されたあと文筆活動に入る。《生きる者の詩》(1841)が爆発的人気をよび,ヘルウェークは凱旋将軍さながらにスイスから帰国。ジャン・パウル,ベルネの流れをくむ若いヘルウェークは,ハイネとはまっこうから対立する左翼急進主義者であった。ヘルダーリン韻律に鍛えられた彼の有名な政治詩の数々は,革命的幻想を熱狂的にうたいあげる詩人の陶酔感に支えられていたといってよい。〈鉄の雲雀ひばり)〉とヘルウェークを嘲笑するハイネの批判は,たしかにそれなりの正当性はあったのである。1842年以後,マルクス交友。48年革命には,ヘルウェークもバーデンの反乱軍を率いて戦うが,結局は再度のスイス逃亡を余儀なくされる。その後,ラサールを通じて革命的労働運動への理解を深め,やがて〈プロレタリアート歌い手〉に変貌してゆく。全ドイツ労働者協会の《同盟歌》(1863)はヘルウェークの作詩による。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヘルウェーク」の意味・わかりやすい解説

ヘルウェーク
へるうぇーく
Georg Herwegh
(1817―1875)

ドイツの詩人。シュトゥットガルト生まれ。格調の高いリズムと熱情に支えられた『生きる者の詩』(1841)で、革命的な時代風潮にあった全ドイツに一大センセーションを巻き起こす。1842年以後、カール・マルクスと交友。48年の三月革命では、バーデンの反乱軍を率いて政府軍と戦う。その後、ドイツの社会主義者F・ラサールを通じて革命的労働運動への理解を深め、やがて「プロレタリアートの歌い手」に変貌(へんぼう)していく。全ドイツ労働者協会の有名な『同盟歌』(1863)は、ヘルウェークの作詩によるもの。

[林 睦實]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ヘルウェーク」の意味・わかりやすい解説

ヘルウェーク
Herwegh, Georg

[生]1817.5.31. シュツットガルト
[没]1875.4.7. バーデンバーデン
ドイツの詩人。政治詩集『生ある者の詩』 Gedichte eines Lebendigen (1841) は,革命的な時代の風潮に大きな影響を与えた。彼自身も積極的な政治活動を行い,二月革命 (48) ののちパリにおいてドイツ人の指導者となり,4月には労働者集団を率いてバーデンに入った。ほかに『新詩集』 Neue Gedichte (77) など。 A.ラマルチーヌの翻訳もある。

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世界大百科事典(旧版)内のヘルウェークの言及

【ウェストファーレン】より

…地域自治権の拡大にK.シュタインの果たした役割は大きい。
[自然,産業]
 南部のザウアーラントSauerland,北部のミュンスターラント,両地域に挟まれるヘルウェークラントシャフト,東部のウェーザーベルクラントに大別される。ザウアーラントは南はジーク川,北はルール川,メーネMöhne川に挟まれる山地で,農耕には適さず,鉱工業が早くから発達した。…

※「ヘルウェーク」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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