ベルネ(読み)べるね(英語表記)Ludwig Börne

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ベルネ」の意味・わかりやすい解説

ベルネ
べるね
Ludwig Börne
(1786―1837)

ドイツのジャーナリストフランクフルトのユダヤ人ゲットーに生まれる。1818年、文芸雑誌『ワーゲ』を創刊して文筆生活に入る。パリ移住後のベルネの政治評論を代表する『パリ便り』(1832~1834)は、機知に富む鋭利な文体を駆使して、ドイツの時代錯誤の現状を容赦なく暴き出した。ハイネと並ぶ「青年ドイツ派」のリーダー格とみなされたが、「政治革命か社会革命か?」をめぐって両者は鋭く対立し、ついには誹謗(ひぼう)と私怨(しえん)の大激突のうちに決別する。ベルネのわずか50年の生涯は、自己の共和主義的信念をかたくなに守り通した清楚(せいそ)な革命家の一生であった。ドイツ・ジャコバン派の政治的ジャーナリズムは、彼によって引き継がれたといっても過言ではない。

[林 睦實]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベルネ」の意味・わかりやすい解説

ベルネ
Börne, Ludwig

[生]1786.5.6. フランクフルト
[没]1837.2.12. パリ
ドイツのジャーナリスト,批評家。本名 Löb Baruch。「若きドイツ」派の代表的論客。ユダヤ人の銀行家の子に生れ,初め医学を学び,のち法学に転じ官吏となったが,政府の反動化により解雇され,ジャーナリズムに入った。初め雑誌『秤』 Die Waage (1818~21) などに拠り,劇評や社会批評に健筆をふるったが弾圧を受け,1830年の七月革命を機にパリに亡命,『パリからの手紙』 Briefe aus Paris (32~34) を書いて,ドイツ民衆の覚醒を促した。ほかに,W.メンツェルを批判した『フランス人嫌いのメンツェル』 Menzel der Franzosenfresser (37) など。

ベルネ
Vernet, Émile Jean Horace

[生]1789.6.30. パリ
[没]1863.1.17. パリ
フランスの画家。 A.C.H.ベルネ息子。熱烈なナポレオン礼賛者で,リトグラフも制作。馬や戦争の情景を描いたが,1829年にはローマのフランス・アカデミー学長。 33年にはアルジェリアのフランス軍に従軍し,アラブの風景も描いた。またナポレオン3世のためにベルサイユ宮殿の歴史ギャラリーの戦争画を制作。

ベルネ
Vernet, Antoine Charles Horace

[生]1758.8.14. ボルドー
[没]1836.11.27. パリ
フランスの画家。通称カルル。 C.J.ベルネの息子。風俗画に巧みで,リトグラフの先駆者。ナポレオンのため『マレンゴ』 (1804) その他の戦争画を描いたが,のちにルイ 18世の宮廷画家となり,競馬や狩猟の作品を多く制作した。

ベルネ
Vernet, Claude Joseph

[生]1714.8.14. アビニョン
[没]1789.12.3. パリ
フランスの画家。アビニョンとエクスの装飾画家であったが,1734~53年にローマで風景画を学び,帰国後はフランス・アカデミー会員となり,ルイ 15世の注文で『フランスの港』 (1754~62,ルーブル美術館ほか分蔵) を連作した。

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