ベトナム青年革命同志会(読み)ベトナムせいねんかくめいどうしかい

改訂新版 世界大百科事典 「ベトナム青年革命同志会」の意味・わかりやすい解説

ベトナム青年革命同志会 (ベトナムせいねんかくめいどうしかい)

ベトナムにおける民族解放革命の達成を第一の戦略目標に掲げ,ホー・チ・ミンが1925年6月に中国の広州広東)で創立した革命的秘密組織。この同志会の活動を通して,30年に創立されるベトナム共産党の政治・思想・組織面の基盤が形成されたといわれる。同志会は上から本部,圻部,省部,県部,支部の五つのレベルに分かれ,これらが民主集中の原則によって組織されていた。本部は宣伝機関紙《タンニエン(青年)》を週刊で発行(1925年6月~27年4月の間に88号まで)する一方,広州で政治訓練学校を開校し,幹部養成に努めた。1927年にはベトナム国内で各圻部が設立され,その後多くの省部が設立された。これに伴い,会員数も29年には1700人(北圻(北部)700人,中圻(中部)500人,南圻(南部)500人)に増大し,会員の社会階層別構成も当初大きな比重を占めた知識人,学生が後退し,労働者の比重が大きくなった。この間,思想的にも共産主義的傾向が強まった。こうした情勢を背景に,29年5月ホンコンで開催された全国大会では北圻代表団が同志会の解散共産党の即時設立を提議した。しかし大会で賛成を得られなかったため,北圻代表団は帰国し,同年6月にインドシナ共産党結成を独自に宣言した。これによりベトナム国内での共産主義運動はさらに強まり,同年10月には南圻の圻部もアンナン共産党結成を声明するにいたった。その後まもなく,これら二つの組織は,タンベト革命党から改組されたインドシナ共産主義連盟とともに30年2月ベトナム共産党に統一されて,発展的に解消した。
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世界大百科事典(旧版)内のベトナム青年革命同志会の言及

【ベトナム】より

… 第1次大戦後,インドシナへの投資が拡大し,北部の鉱業,中南部のゴムのプランテーション,南部の米作の急激な発展は,労働者階級やサイゴンの地主,精米・輸出業者などのブルジョアジー,さらに知識人層を生み出した。この社会変容を背景に,1925年ホー・チ・ミンによってベトナム青年革命同志会が生まれ,これを母体に30年ベトナム共産党が成立し,またグエン・タイ・ホクのベトナム国民党が生まれた。共産党は30‐31年のゲティン・ソビエトの壊滅によって一時打撃を受けたが,チャン・バン・ザオが南部の組織を再建し,タ・トゥ・タウらトロツキスト派と統一戦線を組んでサイゴン市会選挙などに進出した。…

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