ベルギー史(読み)ベルギーし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ベルギー史」の意味・わかりやすい解説

ベルギー史
ベルギーし

のちにベルギー王国になるネーデルラント (低地地方) 南部は前1世紀にユリウス・カエサルに征服されてローマ領になり,5世紀初頭フランク民族の支配に服した。カロリング朝フランク王国の重要な部分を占めたが,9世紀王国の分裂に伴い,スヘルデ川以西が西フランク,以東が東フランクに編入された。 10~13世紀の間にフランドル伯領,ブラバント公領,リンブルフ公領,エノー伯領,ナミュール伯領,ルクセンブルク伯領,リエージュ司教領が形成されて封建的分裂が進み,他方,10世紀末からフランドル地方に毛織物業と遠隔地貿易が勃興し,イープル (イーペル) ,ヘント (ガン) ,ブリュッヘ (ブリュージュ) など多数の都市が発達した。 14世紀以降この地方はブルゴーニュ公国の支配に入り,15世紀末ハプスブルク領となり,16世紀中頃スペイン=ハプスブルク家の領土になった。 16世紀後半スペイン国王と属領地ネーデルラントの対立が激化したが,ネーデルラントの反乱の過程で,南部諸州の貴族はアラス同盟を結成してカトリックの護持を誓い,北部のユトレヒト同盟と決別し,スペイン側と和を講じた。スペインの支配とカトリック信仰にとどまった南部は,フェリペ2世の妹イサベルとその夫アルブレヒトの統治下にフランドル派絵画や学問繁栄が続いたが,北部の一部をオランダに,南部をフランスのルイ 14世の侵略により奪われた。 18世紀初頭のスペイン継承戦争の結果,ベルギーはオーストリア=ハプスブルク家に与えられた。マリア・テレジア女帝の統治下,1757年のフランス=オーストリア同盟により長い平和が続き,経済的発展が進んだ。 89年のブラバント革命によって全国議会はベルギー共和国の独立を宣言したが,95年フランスに併合され,ナポレオン1世の敗北後,ウィーン会議の決定によりオランダ (ネーデルラント) 王国に合併された。オランダ国王の統治に不満をもつベルギーは,1830年パリで発生した七月革命に鼓舞されて独立運動を起し,翌年ロンドン会議により永世中立国家として独立を承認された。ベルギー国民議会はザクセン=コーブルク公レオポルド1世を国王に推戴した。 19世紀後半,レオポルド2世の治世はフランス,プロシアなど列強の対立のもと,中立問題で困難に直面し,学校教育をめぐる自由党,カトリック党の対立で混乱したが,他方で産業の発展はめざましかった。産業の発達は労働者階級の政治参加への発言力を増し,社会立法,普通選挙の要求が強まった。 1908年にはコンゴを植民地として獲得した。2度の世界大戦に中立国ベルギーはドイツ軍の侵略を受けて占領され,非常な苦難を経験した結果,戦後は中立政策を捨て北大西洋条約機構 NATOに加盟した。 58年発足したヨーロッパ経済共同体 (現ヨーロッパ連合 EU) の原加盟国でもある。 60年にはコンゴ植民地が独立した。ベルギーは言語による地域間対立を長年にわたってかかえてきたが,70年憲法改正によりオランダ語,フランス語,ドイツ語の三言語社会およびフランドル,ワロンブリュッセルの三地域に分けられて分権化が進められ,93年には連邦国家となった。

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