レオポルド1世(その他表記)Leopold Ⅰ

改訂新版 世界大百科事典 「レオポルド1世」の意味・わかりやすい解説

レオポルド[1世]
Leopold Ⅰ
生没年:1790-1865

ベルギーの初代国王在位1831-65年。中部ドイツの小邦ザクセン・コーブルク公フランツの第4子。1813年ロシア軍に勤務して対ナポレオン戦争に従軍し,アレキサンドル1世に従ってパリに赴く。16年イギリスに帰化し,摂政(後のジョージ4世)の王女(王位継承予定者)シャーロットと結婚(同王女は翌年,出産に際して死去)。30年ギリシア王に推されたがこれを辞退の後,独立直後のベルギーの国民議会から同国王として迎えられたが,彼は諸列強の承諾を条件とし,ロンドン列国会議の妥結をまって,翌年憲法遵守を誓約し即位した。32年フランス国王ルイ・フィリップの王女ルイーズ・マリーとの再婚によりフランスとの関係も改善し,4人の子女をもうけた。39年に,これまでベルギーの独立を認めなかったオランダが,ロンドン会議の定めた〈24ヵ条〉に基づいてこれを承認しようとすると,ベルギー国内にその不利な内容に反対する声が強く,レオポルドは粘り強くこれを説得し,講和に持ち込んだ。その後もイギリス王室やフランス王室との親戚関係を利用してベルギーの国際的地位を守り,国内ではカトリック自由党の二大政党の大連合維持に努めて政党間対立を和らげ,二月革命(1848)の嵐がベルギーを襲うのを防いだ。また,狭い国内市場を補うため,グアテマラ,ブラジル,ギニアなどに植民地獲得を目ざしたが成功を見なかった。イギリスのビクトリア女王は姪。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レオポルド1世」の意味・わかりやすい解説

レオポルド1世[ベルギー王]
レオポルドいっせい[ベルギーおう]
Leopold I

[生]1790.12.16. コーブルク
[没]1865.12.10. ラーケン
ベルギー王国初代の王 (在位 1831~65) 。ザクセン=コーブルク=ザールフェルト公の4男に生れ,ナポレオン戦争中連合軍に参加,1816年イギリス王女シャーロットと結婚,翌年彼女の死んだのちもイギリスに滞在した。 30年独立したギリシアの国王に推されたが辞退,翌年オランダから独立したベルギーの国王への就任を承諾。フランスとの協調を顧慮して,32年フランス王ルイ・フィリップの王女ルイーズと再婚した。オランダとの関係は初めきびしかったが,39年ロンドン条約を結んで独立問題を解決し,ヨーロッパ国際政治に大きな影響力を有した。 48年の革命の波動はベルギーにも及んだが,立憲君主制はさして動揺せず,産業革命も順調に進行して,治世中経済発展は著しいものがあった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「レオポルド1世」の解説

レオポルド1世(レオポルドいっせい)
Leopold Ⅰ

1790~1865(在位1831~65)

ベルギー国王。ドイツのザクセン・コーブルク家の出身。イギリスのヴィクトリア女王の叔父。ベルギーの独立に際して,イギリス,フランスとの姻戚関係があったことから議会によって国王に迎えられた。

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367日誕生日大事典 「レオポルド1世」の解説

レオポルド1世

生年月日:1790年12月16日
ベルギーの初代国王(在位1831〜65)
1865年没

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