ベルギー北西部、西フランドル州西部の郡都、工業都市。フランス語名はイープルYpres。人口3万5081(2002)。
[川上多美子]
フランス国境に近い。中世には毛織物工業が産業の中心であったが、今日では紡績、既製服、工作機械、自動車などの組立て、食品加工業が中心である。第一次世界大戦で30万以上の戦死者を出した「イーペルの戦い」の地で、町も破壊された。140余の墓地が平野に散在する。原形の様式を維持したまま再建された巨大な毛織物取引所がある。
[川上多美子]
10世紀にノルマン人によって破壊された古い城砦(じょうさい)の周囲に形成された。12世紀以来、西ヨーロッパの毛織物産業の中心地として発展し、ブリュッヘ、ヘントと競った。数多くの同業組合(ギルド)が組織され、13世紀後半には毛織物取引所と鐘楼とを構え、イーペルはその絶頂にあった。人口は4万を擁していたといわれる。商人はギルドを構成し門閥が勇名を覇せ、特権的地位を占めたが、中世末期に至り、ほかのフランドル諸都市と同様にパトリキ(都市上層市民)とアルチザン(職人)が対立し、激しい社会闘争を繰り返した。1302年、コルトレイク(フランス語名クルトレー)に進出したフランス王フィリップ4世を撃破し、また毛織物業者を中心とする市民が暴動を起こして政権を奪い、市政の民主化を図った。しかし、フィリップ4世はイーペルを攪乱(かくらん)し、市政の混乱に乗じ市壁撤去を強制した(アティスの和)。イーペルはまた14世紀以来親仏政策をとり続け、当時イングランドと密接な経済関係にあり毛織物産業を斜陽化させたヌベール(ネグール)伯にも敵対した。しかし、羊毛の不足、販路の減少、疫病の流行(1316)など、一連のできごとは数多くの職人たちに放浪を強いた。14世紀はイーペルが経済破綻をきたした時代であった。15世紀にはブルゴーニュ侯の比較的寛容な政策にもかかわらず、イーペルの経済活動は急速に衰微し、ギルドは30余りに激減し多数の職人がほかの都市へ移住していった。1559年以降は司教領となる(~1801)。その間フランスに併合(1678~1715)され、またオランダ駐屯軍の支配を受け(1715~81)、さらにふたたびフランスが領有(1794~1814)、フランス・ラ・リス県の有力都市の一つとなったが、1830年のベルギー独立に際してベルギーの一都市となった。
[藤川 徹]
ベルギー西部,西フランドル州南西部農村地帯の中心都市。人口3万4000(1979)。工業は,麻織物など繊維工業や繊維機械製造が多少見られるのみで全体として不振である。この都市は,中世にはブリュージュ,ヘントと並ぶフランドルの三大都市の一つに数えられ,ヨーロッパの重要な歳の市開催地であるとともに,最大の毛織物工業都市でもあった(14世紀初頭には,人口2万8000,年産9万反を誇った)。この当時の繁栄は,市の広場にそびえる壮大な毛織物検査場(ラーケンハレ。13世紀に建築を開始,15世紀に完成)からしのぶことができる。その後15世紀以降,イーペルの毛織物工業はイギリスや周辺の農村・中小都市の競争に押されて急激に凋落し,16世紀にはほとんど姿を消した。イーペルはフランス国境に近いため,たびたびの戦禍に遭ったが,とりわけ第1次世界大戦では,イギリスなどの連合軍とドイツ軍との激戦地となって,中世以来の由緒ある多くの建築が失われた。
執筆者:石坂 昭雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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