ワロン(その他表記)Henri Wallon

改訂新版 世界大百科事典 「ワロン」の意味・わかりやすい解説

ワロン
Henri Wallon
生没年:1879-1962

フランスの心理学者。1908年パリ大学医学部卒業後,精神病院で精神遅滞児やてんかん児などの治療と研究に従事する。その結果,重症の精神障害でさえも,生物学的原因だけでなく,環境的原因,とくに社会的欠陥も大きく作用していることを明らかにした。このことは,環境の改善,とくに教育の力で障害を多少とも克服できることを確信させることとなった。そこで,児童精神生物学研究所を創設し,児童相談などの臨床に従事する。そしてさらに,正常児の性格や思考起源の心理学的研究へと向かい,その研究方法として弁証法的唯物論を採ることによって,精神発達の見方に新風を吹き込んだ。37年にコレージュ・ド・フランス教授に任命され,児童期の〈心理学と教育〉講座を担当していたが,第2次大戦中ナチスに対する抵抗運動に参加して指導的役割を果たし,パリ解放時には文部大臣として,また46年にはパリ選出の国会議員として活躍する。またこの時期に,物理学者ランジュバンとともに,教育改革案を作成した。これは直ちに実施されなかったが,ヒューマニズムの香りの高い進歩的内容をもつもので,現代フランス教育制度の基調ともなっており,教育史上,不滅の光を放っている。晩年には,〈学校心理学〉の必要性を強調して,不適応児や障害児の学校順応や個性開花のための進路指導など,学校教育の実践的研究やその研究者養成に力を注いだ。主著に《児童の性格の起源》(1932),《児童の思考の起源》(1945)などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ワロン」の意味・わかりやすい解説

ワロン
わろん
Henri Wallon
(1879―1962)

フランスの心理学者。パリ生まれ。パリ大学医学部を卒業後、精神科病院で精神障害児の臨床に従事し、精神障害は生物学的原因だけでなく、社会的原因にもよることを明らかにした。その後、児童精神生物学研究室を創設して、児童相談などに携わりながら、唯物弁証法の観点から、子供の性格や思考の起源について研究した。1937年コレージュ・ド・フランスの教授に任命されるが、第二次世界大戦中には抵抗運動に参加して指導的役割を果たし、パリ解放後は文部大臣や国会議員を務めた。この時期に物理学者P・ランジュバンとともに作成した教育改革案は、ヒューマニズムに満ちた進歩的内容のもので、教育史上高く評価されている。

滝沢武久

『ワロン著、久保田正人訳『児童における性格の起源――人格意識が成立するまで』(1965・明治図書出版)』『アンリ・ワロン著、滝沢武久他訳『子どもの思考の起源』上中下(1968・明治図書出版)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ワロン」の意味・わかりやすい解説

ワロン
Wallon, Henri

[生]1879.6.15. パリ
[没]1962.12.1. パリ
フランスの心理学者,精神医学者。ソルボンヌ高等学術研究所教授,コレージュ・ド・フランス教授。障害児の精神医学的研究から,児童心理学領域で社会的条件を重視する独自の体系樹立。さらに唯物弁証法の視角からの論議が注目された。第2次世界大戦後,フランスの教育改革に指導的役割を果した。主著『騒々しい子供』L'Enfant turbulent (1925) ,『行動から思考へ』 De L'acte à la pensée (42) ,『児童における思考の起源』 Les Origines de la pensée chez l'enfant (2巻,45~47) ,『児童における性格の起源』 Les Origines du caractère chez l'enfant (34) 。

ワロン
Wallon, Henri-Alexander

[生]1812. バランシエンヌ
[没]1904. パリ
フランスの歴史家,政治家。 1871年国民議会の代議員,中央右派に所属。 75年1月第三共和政を承認する 75年憲法修正案を提出,可決され「第三共和政の父」といわれた。 75~76年文相,76~87年パリ大学文学部部長。主著『ジャンヌ・ダルク』 Jeanne d'Arc (60) ,『聖ルイ王とその時代』 Saint Louis et son temps (75) ,『パリ革命裁判所の歴史』 Histoire du tribunal révolutionnair de Paris (80~82) 。

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百科事典マイペディア 「ワロン」の意味・わかりやすい解説

ワロン

ベルギーの南半に居住するケルト系住民。フランス語の方言と考えられるワロン語をかつては使用したが,現在はほとんどフランス語を使用。風俗習慣もフランス風で,カトリック教徒。第1次大戦前は国内で指導的地位にあった。現在は勢力を増すフラマン語使用住民(フラマン人)と多方面で対立している。
→関連項目フランクベルギー

ワロン

フランスの心理学者。1937年コレージュ・ド・フランス教授。ナチスの侵入によって職を追われ,レジスタンスに参加,1944年復職。ランジュバンの死後その委員会を引き継ぎ,フランスの教育改革に努力。精神発達遅滞児の研究から出発し,人間形成を規定する社会的条件を重視した。主著《児童の性格の起源》(1932年),《児童の思考の起源》(1945年)。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ワロン」の解説

ワロン
Wallon[フランス],Waal[オランダ],Walloon[英]

ベルギー南部に住むフランス語系の住民。元来はケルト人系。オランダ独立戦争には動かず,1830年フラマンと協力してベルギーの独立を得たものの,ワロン語の公用化を求めてフラマンと激しい言語戦争を展開。ベルギーの連邦化によって,現在は自立性を獲得している。

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367日誕生日大事典 「ワロン」の解説

ワロン

生年月日:1879年6月15日
フランスの心理学者,精神医学者
1962年没

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世界大百科事典(旧版)内のワロンの言及

【児童心理学】より

…他方,ドイツではビューラー夫妻K. & C.Bühler,シュテルンW.Stern,ウェルナーH.Wernerらが輩出して,1940年前後から研究の発展をみた。またフランスではH.ワロンが精神医学の成果をもとり入れながら理論の体系化をはかり,ジュネーブ大学の研究所ではJ.ピアジェが発生的認識論研究の一環として児童研究を行い,今日の児童心理学に甚大な影響を与える理論の構築を進めた。ソ連でも1930年代から児童心理の研究が盛んになったが,その基礎を築いたのはL.S.ビゴツキーである。…

※「ワロン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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