ペリアンドロス(読み)ぺりあんどろす(その他表記)Periandros

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ペリアンドロス」の意味・わかりやすい解説

ペリアンドロス
ぺりあんどろす
Periandros
(?―前585ころ)

古代ギリシアコリント僭主(せんしゅ)。七賢人の1人に数えられたが、暴君的僭主の代表ともみなされた。紀元前625年ごろ父キプセロスに次いで僭主となり、対内的には市場税、港湾税以外の租税を取り立てず、怠惰奢侈(しゃし)を戒め、奴隷の取得を禁じ、護衛兵を置き、レスボス島の詩人アリオンArionのパトロンとなったりした。対外的には強力な艦隊を擁し、植民市の建設を進め、ミレトスの僭主トラシブロスと親しく、エジプト友好関係を保ち、アテネミティレネの争いを調停するなど、精力的な活動によってコリントの経済と文化を大いに発展させた。甥(おい)のプサメティコスが後を継いだが、3年後に蜂起(ほうき)したコリント人によって殺された。

[清永昭次]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ペリアンドロス」の意味・わかりやすい解説

ペリアンドロス
Periandros

[生]?
[没]前586
古代ギリシア,コリント (コリンソス ) の僭主 (在位前 627~586) 。ギリシアの七賢人の一人。イリュリアの物産を輸出するコルキュラアポロニアをそれぞれ回復して植民市 (アポイキア ) とし,マケドニアの物産を輸出するポチダイアを建設するなど交易の要地を掌握。怠惰や奢侈を禁じ,産業,商業を奨励したため,コリントは繁栄をきわめた。エジプトやリュディアと友好を結び,アテネとミュチレネの調停をするなど外交でも活躍し,詩人アリュオンを招くなどコリントの文化的繁栄にも寄与した。

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世界大百科事典(旧版)内のペリアンドロスの言及

【アリオン】より

…酒神バッカスをたたえるディテュランボスdithyrambos歌を創始した。故郷のレスボス島を出て,長年コリントスの僭主ペリアンドロスPeriandrosの宮廷にあったが,イタリアとシチリアの歌競べに出場して財をなし,船でコリントスへ帰る途中,欲に目のくらんだ船乗りどもに海へ投じられた。しかし1頭のイルカに救われ,無事僭主のもとに帰りついたので,船乗りどもの悪事が露顕したという。…

【コリントス】より

…前657年バッキアダイ貴族門閥支配は僭主キュプセロスによって打倒された。僭主政は彼と彼の子ペリアンドロス,その甥プサンメティコスへと受け継がれ,およそ80年続いた(前657‐前580)。このころのコリントスはギリシアの中でも隆盛を極め,西方ギリシアへの植民活動は拡大され,陶器,青銅製品は地中海各地へ輸出された。…

【七賢人】より

…たとえば〈万事,度を越すな〉など穏健な処世訓を説く格言の作者とされる。もっとも普通のリストで挙げられるのは,ミレトスのタレス,アテナイのソロン,スパルタのキロンChilōn,ミュティレネのピッタコス,プリエネのビアスBias,コリントスのペリアンドロスPeriandros,リンドスのクレオブロスKleoboulos。このうち若干の者は他と入れかえられることがある。…

【トラシュブロス】より

…このとき市の勢いは頂点に達した。またコリントスの僭主ペリアンドロスPeriandrosと深い政治的な友好関係を結んだが,これによって両市の交易活動は促されていったと思われる。トラシュブロスがペリアンドロスに治政の極意を問われ,それに,よく伸びた麦の穂をちぎるという無言のしぐさで答え,それをペリアンドロスは,有力者の粛清と解したという話をヘロドトスが《歴史》に伝えている。…

※「ペリアンドロス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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