マウラ(英語表記)Antonio Maura

改訂新版 世界大百科事典 「マウラ」の意味・わかりやすい解説

マウラ
Antonio Maura
生没年:1853-1925

スペインの政治家。パルマ・デ・マリョルカ生れ。1881年,国会議員に選出され,92年,自由主義のサガスタ首相のもとで植民地大臣となり,キューバに自治権を与える法案を提出したが成立せず辞職。95年,キューバの反乱が起こり,再び自由主義政府の閣僚として植民地の自治拡大を図ったが,政府は短命に終わった。同年5月,国会における彼の〈上からの革命〉と題する演説は,彼の政治理念を表明している。1901年,自由主義陣営を離れ,翌年保守党政府の内務大臣となった。この任期中の総選挙はスペイン議会史上,初めてといわれる内務省の選挙操作のないものとなった。03年初めて首相となり,地方政治を牛耳るカシキスモ打破に努めた。しかし04年,最高参謀本部長の任命に関して国王介入を受けて辞任。07年から09年まで再び首相に就任。この間,地方自治の改革,義務教育の創設,新艦隊の編成などを実行する一方,モロッコにおけるスペインの権益の強化を図った。このためモロッコで反乱が発生し,予備役召集が強化されたため,バルセロナでは〈悲劇の1週間事件〉が起こった。この反政府暴動の主謀者と目されるフランシスコ・フェレールの銃殺は国際的反スペイン運動を招き,マウラは辞職した。12年,国会議員をやめ,保守党党首の座も去ったが,13年,19年,21年の3回にわたり短期間首相を務め,彼の周囲の青年たちの中から後年の保守改革派の指導者が生まれた。プリモ・デ・リベラ独裁に反対しつつ,世を去った。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「マウラ」の意味・わかりやすい解説

マウラ
まうら
Antonio Maura y Montaner
(1853―1925)

スペインの政治家。バレアレス諸島パルマ・デ・マジョルカ出身。マドリード大学法学部卒業後、1881年に国会議員となり、サガスタの自由党に加わって政界入りした。1892年植民地相となり、キューバへの自治権付与を提起したが同意を得られず、その後しだいにサガスタから離れ、1902年には保守党に鞍(くら)替えした。この間、「上からの革命」を標語内政の抜本的改革を主張。1902年に内相になると、社会改良協会を創設して社会問題の調査にあたらせた。1903年に保守党党首および首相となり、翌1904年にはモロッコにおける権益についてフランスと協定を結んだ。1907年にふたたび首相となったが、1909年7月、モロッコにおける植民地戦争のために予備役招集を企てたことが、バルセロナの労働者の反戦運動を高揚させ、このときの過酷な弾圧(「悲劇の一週間」とよばれる)に起因して政権を辞した。のちに三度短命内閣を組閣したが、プリモ・デ・リベラ独裁には協力せず、同政権下、マドリード近郊で死去した。

[深澤安博]

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