翻訳|Mafia
シチリアに特有の組織犯罪を指す。〈マフィア〉の語はアラビア語に由来すると考えられるが,語源や語意は不明である。シチリアにマフィア的現象が現れるのはイタリアの統一国家成立前後の19世紀半ばからで長い歴史となるが,その実態については必ずしも明らかでなく,一般にはアメリカ・マフィアを題材とした映画や小説によるイメージが流布している。従来の見解では,マフィアは農村的起源で,大土地所有地帯の遅れた社会関係の中で生まれ,第2次大戦後,都市に進出したとされていたが,近年の研究は,都市であれ農村であれ〈富〉の発生する場所に最初から存在していたことを確認している。とりわけ,パレルモ後背地のコンカ・ドーロ(黄金の盆地)と呼ばれる柑橘類栽培の一帯でマフィアの活動が盛んであったことが指摘されている。
マフィアは組織犯罪であるが,具体的にはマフィア構成員と企業経営者と政治家の3者の絡んだ利益追求の活動として表れる。活動の領域は農業であれ,商業であれ,また公共事業関係であれ,富の生ずるところに集中するといえる。3者の関係は上下や支配-被支配の関係で成り立っているのではなく,互いに保護と便宜を提供し合う双務関係で結びついており,たとえばマフィアと政治家の間では,前者が選挙の際に支持票を調達するのと引換えに,後者は司法当局への圧力や公共事業予算の配分などに配慮するという関係が生み出される。その活動は合法性と非合法性,あるいは可視的と不可視的の両方にまたがっており,双務契約が履行されなかったり,活動の障害を除去する必要が出た場合には暴力的手段が容易に行使される。マフィアはこうした活動のネットワークを通して〈権威〉を確立し,そのボスは地域社会において〈尊敬されるべき人〉の評判を得て,公私の紛争の調停的役割を演ずるようになる。ちなみにマフィアのメンバーは自分たちを〈名誉を重んずる人uomini d'onore〉と名づけ,マフィア自体については〈コーザ・ノストラCosa Nostra(我らがこと)〉と呼んでいる。
これまで,マフィアには〈オメルタomerta(沈黙の慣行)〉の掟があり,マフィアのメンバーは絶対に自供をせず,また犯罪の目撃者も報復を恐れて決して証言しないと考えられてきた。そして長い間,マフィア犯罪の立証が困難なのは,この〈オメルタ〉の掟のためであると説明されてきた。ここからマフィアの神話化が生じ,マフィアの実態の解明のないままに,その性格づけが試みられてきた。19世紀末にシチリアの民俗学者ピトレ(1841-1916)は,マフィアを結社でも犯罪集団でもなく,シチリアに根づいた文化規範であり,シチリア精神の表現形態であると説明して,マフィアをシチリアのサブカルチャーとして意味づけた。この見解は,シチリアにおけるマフィア現象の持続に好都合の説明を提供するものだったので,最近までよく引合いに出された。
マフィア犯罪に関して証言が少なく,立証の困難なケースが多かったのは確かである。しかし,最近の研究は,これまでマフィア犯罪の証言がまったくなかったわけではなく,立証を妨げていたのは,まさに政治と司法とマフィアの密接な絡みあい自体であることを明らかにしている。これまでのマフィア論は,マフィア自身の作り上げた〈名誉とオメルタの社会〉としてのマフィア神話に依拠した面があり,そのことがまたさらにマフィア神話の流布をもたらしたといえよう。
マフィアの実態の解明が本格的に進んだのは,1980年代のパレルモの判事たちの努力,とりわけファルコーネ判事の努力によってだった。そしてこれを可能にしたのは,マフィア幹部であったトマーゾ・ブシェッタという人物の内部事情の告白だった。ブシェッタの告白により,主都パレルモを中心に100ほどのマフィア結社が島内に存在して,それら全体の活動を調整するための幹部会が組織されていることが明らかにされた。この証言を手がかりに,86-87年にマフィア大裁判が行われ,政治家や企業経営者と結びついた組織犯罪の実態がかなりの程度解明され,幹部から下部構成員まで多くのメンバーが有罪とされた。これに対する報復として,92年,マフィアはファルコーネと彼の同僚のボルセッリーノ判事を相次いで暗殺したが,逆にこれまでにない市民の反マフィア運動を呼び起こすことになった。
ファルコーネの遺志を継ぐパレルモの司法当局は,マフィアと政治家の結びつきにメスを入れはじめ,通算7期8年にわたって首相を務めたキリスト教民主党の実力者アンドレオッティを,マフィアとの関与容疑で起訴し,裁判が進行中である。ブシェッタに続いて,マフィア内部からの有力な証言者もつぎつぎと現れ,マフィアの歴史にとって現在大きな山場が訪れているといえよう。
→シチリア[島]
議論の性格はシチリアとは違うが,アメリカ合衆国においてもマファアは問題とされ,マフィアと呼ばれるイタリア人移民の犯罪組織がアメリカに存在することが指摘されてきた。19世紀末から20世紀初めにかけて大量のイタリア人移民がアメリカに渡った。この時期,イタリア人移民に敵意をもつ部分がマフィアの名で移民者への反感をあおった事実があるが,第1次大戦以後そうした風潮は鎮まった。1920年代,30年代,禁酒法にからんで組織犯罪の増加と抗争の激化がみられ,のちにこれらはマフィア物語となって世に広まるが,当時においてはこれがマフィアの活動とみなされたことはなく,またマフィアの名が記録にのることもなかった。第2次大戦末期,連合軍のシチリア上陸作戦の前後に,当局がイタリア人移民の犯罪者を本国との連絡ルートに使ったことから,マフィアの名がとりざたされるようになり,両国マフィアの結びつきについて憶測を生んだ。1950年,組織犯罪に関する上院調査委員長キーフォーバーEstes Kefauverが,全国規模の犯罪組織としてマフィアが存在すると宣言したことにより,組織犯罪をマフィアと結びつけて説明するようになった。次いで63年,マクレランを長とする上院調査小委員会でバラキJoseph Valacchiという人物が,犯罪組織の世界ではマフィアでなく〈コーザ・ノストラCosa Nostra〉という名が使われていると証言し,初めての内幕暴露として騒がれた。さらにプーゾMario Puzoの小説《ゴッドファーザー》(1969)とその映画作品(1972)が大当りして,70年代にマフィアものがジャーナリズムをにぎわせるきっかけをつくった。マフィアをめぐるアメリカでの議論はこうした経緯をもつが,アメリカにおいて論じられる場合のマフィアが何を意味するのかを検討することが望まれている。
執筆者:北原 敦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
アメリカ、イタリアに存する暴力的な秘密組織。マフィアということばは、虚栄、自慢を意味するアラビア語のmahyahからイタリア方言化したとされる。もともとイタリアのシチリア島に発生の根源をもっているが、その組織化にはいくつかの起源説がある。その第一は9世紀、アラブの侵入に対して結成されたという説、第二は1282年にフランスの抑圧への抵抗に始まるという説、第三は18世紀後期のブルボンとの闘いのための団結説、第四にもっとも一般的なのは、19世紀初め、ナポレオン軍に追われたナポリ王室がこの島に逃げ込んだのが契機という説である。
マフィアが初めてアメリカの歴史に現れたのは1870年ころだが、その後、中西部のイタリア移民によってシカゴ、セントルイス、クリーブランドなどを拠点に、やがて全米の暗黒街に根を張るようになった。1929年、カポネによるシカゴのバレンタインデーの虐殺は有名であるが、禁酒法時代の事件である。マフィアはアメリカの土壌で新しくギャングとして発達し、コーザ・ノストラCosa Nostra(「われわれのもの・仕事」の意)ともよばれる。1930年当時には、ニューヨークをはじめ全米に24のファミリーがあった。ファミリーはその活動単位で、ボスの下にアンダー・ボス、そして平のソルジャーに至るまでの組織をもつ。また、ファミリー間を調整するコミッションやカウンシルがあったこともある。彼らは、不文の掟(おきて)のオメルタomerta(仲間意識)で結ばれ、また、日本のやくざなどに比べると、世間からの秘匿性がはるかに強い。
[岩井弘融]
『F・J・クック著、小菅正夫訳『マフィア犯罪白書』(1972・早川書房)』▽『N・ゲージ著、常盤新平訳『マフィアは冷酷な企業である』(1973・角川書店)』▽『O・デマリス著、宮本晃太郎訳『マフィア 裏切りの報酬』上下(1981・サンケイ出版)』
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…日本の家も西欧のファミリーも,その基本的機能は成員の生活保障にある。だからこそ血縁者のみでなく,他人もいれる必要がでてくる。英語のファミリーfamilyの原義は家の使用人たちであった。歴史とともに社会が安定し,生活が容易になれば,他人を必要とせず,血縁につながる近親者の小集団に縮小してくる。しかし,家の血縁に対する考え方は国によって違う。家族
【日本】
[結合原理としての家――伝統と変容]
日本の場合,血縁尊重ということがよくいわれる。…
…しかし,ナポリの支配を嫌って半島部からの分離を求める自治主義の動きが根強く存在し,新国家に組みこまれたのちにも,この自治主義の要求は機会あるごとに表明された。だが,統一以後のシチリア社会で特に重要なのは,マフィアとよばれる現象が出現したことである。マフィア的現象は,農村ブルジョアジーが国家の諸制度に依拠しないで,みずからの実力の行使によって地域的な支配権を確立しようとする試みとみることができる。…
…このような環境のもとでの社会生活には血縁関係が重要な役割を果たし,また名誉や復讐の観念が重んじられた。イタリア統一の前後からシチリアにマフィアとよばれる現象が出現するが,それはこうした社会環境と密接なつながりをもつものであった。 一方,沿岸部は中小農による集約農業が特徴で,内陸部に比べて生産性が高く,ブドウ,かんきつ類,オリーブ,アーモンドなどの樹木栽培が行われた。…
…古い生活形態に固着するか,まだ姿を現さない新しい生活形態を期待するか,である。この点で秘密結社を二分するなら,前者がマウマウ団(マウマウの反乱)やマフィアのように古い因習に固執する楽園回帰グループ,後者が多少とも革命的な世界改革を唱える啓明結社,カルボナリ党,アイルランド独立を目ざしたクラン・ナ・ゲールClan‐na‐gaël,革命前夜のボリシェビキ(ロシア社会民主労働党)のようなユートピア志向グループ,となろう。むろんこの分類はとりあえずのものにすぎず,両者の間に一線を画するのは容易ではない。…
※「マフィア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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