翻訳|gang
犯罪者のグループ。ギャングという英語には〈物のひとそろい〉の意味があり,そこから〈労働者,奴隷,囚人あるいは悪党の集団〉の意味が派生した。また,古くは〈行くという行為,様態あるいは道〉の意味があることも示唆的である。アメリカでは,植民地時代から街道強盗,馬どろぼうがいたが,彼らは〈bandit〉〈robber〉〈highway robber〉〈outlaw〉などと呼ばれ,ギャングの語は1657年に〈動物の群れ〉,1823年までには〈悪徳政治家の一味〉の意味で使われ,70年ころに〈犯罪者のグループ〉の意味が定着した。なお,ギャングは集団で,1人の場合は〈ギャングスターgangster〉という。
19世紀後半を代表するギャングは,ミズーリ州一帯で銀行強盗,列車強盗を繰り返した〈アメリカのロビン・フッド〉ジェシー・ジェームズである。ほかにもテキサスを荒らしまわったサム・バス,ときにはジェシー・ジェームズと組んだヤンガー兄弟,〈ワイルド・バンチ〉と呼ばれたブッチ・キャシディとサンダンス・キッドなどがいる。当時はまだFBIのような連邦レベルの取締機関が完備しておらず,ギャングは犯行ののち隣の州に逃げこむなどして法の網をかいくぐった。南北戦争から19世紀末にかけてのアメリカは,秩序ある体制を固めつつある時代であった。公有地入手の道を大きく開いたホームステッド法(自営農地法)の制定(1862)は,東部資本家と西部開拓民との利害の一致によって実現したものであり,物理的にも東部と西部は大陸横断鉄道の完成(1869)によって結ばれる。南北戦争で敗れた南部は,戦後連邦(北部)の指導の下に再建をすすめていく。ギャングが強奪の対象とした銀行や列車は,東部資本家を象徴するものであり,ギャングの主たる活動範囲は東部の価値観がまだ支配的ではない地域,あるいは徐々に浸透しつつある地域とみることもできる。ホームステッド法の適用資格に〈武器をとって合衆国政府に反抗し,または合衆国の敵軍に援助救恤(きゆうじゆつ)を与えたことのない限り〉という条件があり,これは南軍・南部を念頭に置いた同法の戦時立法としての性格を明らかにするものであるが,ギャングが多出した19世紀後半は,アメリカが一つの価値観のもとにまとまりつつある時代であった。しかし,残忍なギャングが必ずしも大衆によって目の敵にされなかったという事実の背景には,たとえばジェシー・ジェームズを追ったピンカートン探偵団の残虐なやり口への反感,ダイム・ノベル(10セント小説)によるギャングのヒーロー化のほかにも,一元的な価値観への大衆の反逆精神をみることもできよう。
19世紀のギャングは移動型とみることができるが,1890年に国勢調査局が西部のフロンティアの消滅を宣言し,都市化がすすむ20世紀になると,ギャングも都市を地盤とするようになる。かつての人と人との結びつきを失い,無名性の社会となりつつある都市自体が,ギャングを許容する条件を整えた。また20世紀にはアイルランド系,ユダヤ系,イタリア系などのギャングが出現する。ギャングは犯罪者組織ではあるが,言葉も通じない異国に到着した移民が,そこに人的つながり,新しい社会に食い込むためのよりどころを求めた側面も無視できないし,マフィアなどもこの観点からとらえるべきであろう。都市におけるギャングは,賭博,売春,麻薬売買を資金源とし,1920年代の禁酒法時代にはアル・カポネに代表されるように酒の密造・密売で財源を確保しながら,勢力を拡大した。FBIの創設は1908年であるが,その権限が強化されたのは24年のJ.E.フーバー長官の就任以降である。30年代の大恐慌期には,マシンガン・ケリー,ジョン・デリンジャー,ベビー・フェース・ネルソン,ボニーとクライドなど,犯行と逃走に自動車を使用した移動型ギャングが再び活発になる。新聞は大々的に報道し,ハリウッドは次々にギャング映画を製作した。30年代以降,ニューヨーク,ニュージャージー一帯でイタリア系ギャングの組織化がすすみ,〈ファミリー〉と呼ばれる組織は相互間の抗争・提携を繰り返した。初期にはラッキー・ルチアーノが,第2次大戦後にかけてはフランク・コステロが指導者格であった。
大戦後,ギャングの財源としてはヘロインの売買と高利貸が重要になる。50年代から60年代初めにかけて,連邦議会の委員会で組織犯罪の摘発が行われ,マフィアの実態が公にされ,以後イタリア系ギャングの取締りが強化される。60年代以降にはヘロインの服用が大都市のゲットーに広まり,またベトナム戦争の影響もあって,従来の白人系に加えて黒人系,中南米系ギャングが台頭するなど多様化するが,一方取締りの強化や立法措置を通じて,組織的ギャングの財源は規制されつつある。
→暴力団
執筆者:山本 泰男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
いっしょに活動している人々の一団を意味し、労働者、囚人などの集団のほか、とくに少年の近隣的集団をさす場合と、犯罪的な組織集団をさす場合とがある。スラッシャーFrederic M. Thrasher(1892―1962)の『ギャング』The Gang(1927)は、大都市に自然発生的に形成された少年集団を研究したこの方面の代表的な著作である。
[岩井弘融]
成人の犯罪組織の成員は、英語ではギャングスターgangsterとよばれる。アメリカの組織犯罪の最大のシンジケートは、マフィアMafiaあるいはコーザ・ノストラCosa Nostraである。全米の24のファミリーfamilyの下に3000人から5000人がこの組織に属している。マフィアはイタリアのシチリア島の秘密結社に発し、アメリカの歴史に現れたのは1870年ニュー・オーリンズにおいてであるといわれる。東部海岸の大都市への大量のイタリア人移民労働者の流入とともに、この組織が持ち込まれ、他の移民集団との闘争を経て、1930年ごろまでに暗黒街を制覇するに至った。中西部では鉄道敷設の未熟練労働者の大量移住でセントルイス、シカゴ、クリーブランドの3市にその組織ができ、ブラック・ハンド(黒手組)と並びその勢力を拡大し、1910年から1920年代の禁酒法時代にその最盛期を迎え、暗黒街の王者アル・カポネが制圧した。その組織もアメリカナイズされて、企業的な犯罪組織としてコーザ・ノストラ(イタリア語で「われらのもの」の意)とよばれる複雑化を遂げるに至った。都市の急速な拡張、銃器の普及と相まって、ギャング団の闘争はつねに繰り返されてきた。カポネがモランBugs Moran一派を襲った1929年のシカゴの有名なバレンタインデーの虐殺、50人から60人の死者を出し、最大の殺戮(さつりく)といわれたニューヨークのマランツァーノSalvatore Maranzano対マッセリーアGiuseppe Masseria戦争、1960年から1963年のギャロ兄弟The Gallo brothers対プロファッチJoseph Profaci戦争およびその延長の1972年のコロンボJoseph Colombo対ギャロJoseph Gallo闘争などはその典型である。
単位としてのファミリーは20人から700人の成員からなり、たいていの都市に一つ、ニューヨークには五つある。その長のボスはドンとかカーポとかよばれる。その下のアンダー・ボスの任務は、情報の収集や命令の伝達である。相談役ないし助言者のコンシグリエレは、アンダー・ボスとほぼ同地位だが、半退役の年長メンバーがあたっている。アンダー・ボスの下に実戦部隊の長としての複数のカーポレギア(別名リューティナント)があり、平組員の多数のソルジャーを動かしている。その活動は、非合法面では賭博(とばく)、麻薬の密輸・密売、高利貸、恐喝、売春など、合法面では食料品店、不動産業、運送会社、ごみ清掃、酒場、労働組合、自動販売機などの各方面に及んでいる。
その特徴は、州や大都市の行政官、政治家、実業家、警察官、判事、検事などにまでしばしばその触手を伸ばしていることや、組織の秘匿性がきわめて強いことである。したがって、ファミリーの全国的な規模の連合体であり、最高支配体であるコミッションの存在についても、これを肯定する者と同時に、マフィアの神話として否定する者もいる。また、カリフォルニア、ネバダなどの西部地域におけるギャングにはかならずしもこのようなマフィア型の構造がみられるわけではない。銀行強盗、誘拐を小集団で行う群小ギャングも少なくない。
[岩井弘融]
『F. M. ThrasherThe Gang (1927, rev. 1936, Univ. of Chicago Press, U.S.A.)』▽『岩井弘融著『犯罪社会学』(1964・弘文堂)』▽『F・J・クック著、小菅正夫訳『マフィア犯罪白書』(1972・早川書房)』
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