アメリカのギャングの首領。通り名〈アル・カポネ〉〈スカーフェース(向こう傷の)・アル〉。イタリアのナポリに生まれ,アメリカに移住後,まずニューヨークのギャングに加わって頭角を現し,1920年シカゴに移った。ちょうどこの頃禁酒法が実施されることになったが,カポネは酒の密造・密売などの違法行為で巨額の利益をあげ,豊富な資金をもとに縄張を急速に広げ,シカゴを中心に支配網を全国的に拡大した。それだけに対立したり競争関係に立つギャングとの抗争は絶えなかったが,自動車とマシンガンを駆使して機動力に富む攻撃を行い,敵対者を容赦なく殺傷した。とくに〈聖バレンタインの虐殺St.Valentine's Day Massacre〉(1929)はよく知られている。32年に脱税のかどで有罪判決を受け投獄されたが,39年釈放され,のち病死した。
執筆者:新川 健三郎
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アメリカのギャング。ニューヨークで貧しいイタリア系移民の家に生まれ、少年時代から犯罪組織に関係。21歳のときシカゴに移る。この年(1920)アメリカは憲法修正第18条(いわゆる禁酒法)によって禁酒の国になり、その結果、密造酒と密輸の酒は暗黒街の巨大な財源になった。とくにイタリア系のギャング(マフィア)が闇(やみ)酒でもうけて、勢力を拡大した。カポネはその代表的なボスの座を獲得、「暗黒街の帝王」とよばれた。政界・警察を買収し、1927年には一億数千万ドルの所得があったといわれる。29年2月の「聖バレンタインデーの虐殺」など数多くの殺人・暴力事件の影の主役であった。31年、脱税によって懲役11年の判決を受け、サンフランシスコ湾のアルカトラズ刑務所などに服役、39年に出所したが、すでに梅毒に冒されていて、暗黒街に復帰することはなかった。
[常盤新平]
『猿谷要・城山三郎・常盤新平編『人物アメリカ史5 カポネの時代』(1984・集英社)』
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