マルワーン朝(読み)マルワーンちょう(英語表記)Marwān

改訂新版 世界大百科事典 「マルワーン朝」の意味・わかりやすい解説

マルワーン朝 (マルワーンちょう)
Marwān

アーミド(現,トルコ領ディヤルバクル)を中心に,南東アナトリアを支配したクルド系王朝。983-1085年。遊牧クルドの族長バーズBādhは,ブワイフ朝の衰退に乗じて,アーミド,ヌサイビン,マイヤーファーリキーン(現,シルワーン)を占領し,王朝を開き,さらに軍を進めてバグダードをも脅かした。11世紀初めより約50年にわたって支配した4代目のナスル・アッダウラNaṣr al-Dawlaは,ビザンティン帝国やエジプトのファーティマ朝との関係を維持する一方,ハムダーン朝と戦い,マラーズギルド,アフラート,ヒスン・カイファ(現,ハサンケイフ)にも勢力を拡大した。これらの防衛・交通上の要地にあたる都市は,治安が保たれ,公共施設が整備され,学者・文人が集まり繁栄した。彼の治世の末期にはジャジーラ地方へのグズトルクメン族)の侵入が起こり,死後には2人の息子が領土を分割して弱体化し,セルジューク朝に服属した。最後はアーミドをセルジューク軍に奪われて滅亡した。
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世界大百科事典(旧版)内のマルワーン朝の言及

【マルワーン家】より

… 子のアブド・アルマリク‘Abd al‐Malik(在位685‐705)は第5代カリフとして父の事業を継承し,第2次内乱を終結させウマイヤ朝存亡の危機を救った。第8代のウマル2世と第14代のマルワーン2世を除くと,すべてアブド・アルマリクの子孫がカリフ位を継承したが,その2者ともマルワーンの子孫であるので,マルワーン以後のウマイヤ朝をスフヤーン家出身の前3代と対照的にマルワーン朝と呼んでさしつかえない。ワリード1世以後,マルワーン家の者同士がカリフ位を巡って敵対し,同家の団結力が衰え,これがウマイヤ朝滅亡の一因となった。…

※「マルワーン朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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