ミサンザイ古墳(読み)ミサンザイコフン

デジタル大辞泉 「ミサンザイ古墳」の意味・読み・例文・類語

みさんざい‐こふん【ミサンザイ古墳】

履中天皇陵古墳

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「ミサンザイ古墳」の解説

ミサンザイ古墳
みさんざいこふん

[現在地名]堺市石津ヶ丘

履中天皇陵に治定される。大仙だいせん古墳の南西方、標高一七―一九メートルの三国みくにおか台地上にある。前方部をほぼ南南西に向けて築かれた前方後円墳。墳丘長三六五メートル、後円部径二〇五メートル、前方部幅二三七メートルで、日本第三位の規模をもち、大仙古墳田出井山たでいやま古墳とともに百舌鳥もず古墳群の中核をなす。調査はまったく実施されておらず、墳丘上に形象埴輪円筒埴輪が配され、全面に葺石が施されている程度しか知られていない。また昭和初期まで古墳西側に二重にめぐらされた堀の外濠の一部が残っていたが現在は埋められている。

ミサンザイ古墳
みさんざいこふん

[現在地名]藤井寺市藤井寺四丁目

仲哀天皇陵に治定される。葛井ふじい寺の南西に位置し、主軸をやや西に振って南面する。前方後円墳。墳丘の全長二三九メートル、後円部直径一四五メートル、高さ一九・四メートル、前方部幅一八〇メートル、高さ一六メートル。仲哀天皇の死については「日本書紀」同天皇九年二月五日条に「天皇、忽に痛身なやむこと有りて、明日に崩ず、時に年五十二」「一に云く、天皇、親ら熊襲を伐ちて、賊の矢に中りて崩ず」とある。熊襲征封の最中であったため天皇の死は秘せられ、屍はひそかに武内宿禰の手で海路穴門に運ばれ、豊浦宮で殯に付された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内のミサンザイ古墳の言及

【身狭】より

…宣化天皇陵は,《日本書紀》や《延喜式》には,身狭桃花鳥坂上(むさのつきさかのえ)陵とみえている。この宣化天皇陵については,現在治定のミサンザイ古墳(橿原市鳥屋町所在)とは違って,奈良県下最大の前方後円墳である見瀬丸山古墳(橿原市見瀬町,大軽町,五条野町にまたがっている)をあてる説が存在する。この見瀬の地名は,身狭のなまりとみてよい。…

※「ミサンザイ古墳」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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