デジタル大辞泉 「ミシン」の意味・読み・例文・類語
ミシン
1 布・紙・革などを縫い合わせたり、
2 紙などの切り取り線上にあけた点線状の穴。
英語のソーイング・マシンsewing machineが略され、なまって日本語化した語。布地、皮革、紙などを縫い合わせたり、刺しゅうなどをする機械。
[岡田浩海]
効率の悪い手縫いを機械化しようとする試みは16世紀ごろから行われていた。1589年イギリスのウィリアム・リーWilliam Lee(1563―1614)は、妻の編んでいる毛糸編みの針の動きにヒントを得て、1本の糸を絡み合わせて縫う鎖(くさり)縫いの機械を考案したといわれる。最初のミシンと考えられるものは、1790年イギリスの指物師トーマス・セイントThomas Saintが皮革用として考案したもので、鎖縫いミシンの機械化にいちおう成功したが、実用化までには至らなかった。1825年フランスのバルテルミー・ティモニエBarthélemy Thimonnier(1793―1857)が鎖縫い式のミシンを完成して初めて実用化され、1841年には81台のミシンが軍服の仕立てに使用された。それまでのミシンはいずれもセイントのものと同様、1本糸による鎖縫い(環(かん)縫い)ミシンであったが、1834年ニューヨークの機械工ウォルター・ハントWaltor Hant(1796―1859)が上糸、下糸2本を用いて縫い目を構成する本縫いの原理を考案し、近代的なミシンの基礎を築いた。
1846年エリアス・ハウはハントの考案を基に、布押さえや送り装置のついた、さらに進んだ手回し式本縫いミシンの特許を獲得した。以後、1849年アメリカのナサニエル・ウィラーNathaniel Wheeler(1820―1893)による中がまとボビンを組み合わせた回転がま、1851年アレン・ベンジャミン・ウィルソンAllen Benjamin Wilson(1824―1888)による回転リンクに歯を取り付けた布送り装置、1872年ウィラー・ウィルソン社による天秤(てんびん)、1887年シンガー社による往復がまなどの発明が次々と行われた。一方、アイザック・メリット・シンガーが1851年、最初の足踏み式の実用ミシンを製作し、ミシンは本格的工業生産に入ってゆく段階を迎えた。
この間これらの発明者が直面した大きな難関は、当時の労働者が、産業革命によってしだいに機械に圧迫され、失業を恐れて縫製機械の出現を喜ばず、機械を破壊する暴挙を働くなどの反対運動を起こしたことであった。またミシン工業の発達に伴い、特許が侵害され、ハウはシンガー社を相手どってアメリカ大審院に訴え、1854年(一説では1856年)ハウの特許が認められるという経緯もあった。ミシン会社間では激しい競争が行われていたが、シンガー社は宣伝に力を尽くしたり、1856年から割賦販売方式を始めるなどして市場を開拓し、他社を圧倒しながら発展し、ミシン工業の基礎を確立した。
[岡田浩海]
ミシンは用途によって家庭用、工業用に大別できる。また、縫い方により本縫いミシン、環縫いミシンに、駆動方式により手回し式、足踏み式、電動式に分けられるが、細分すれば3000種以上にも及んでいる。
家庭用ミシンには、直線本縫いミシンと、ジグザグミシンがあり、近年ではジグザグミシンが主流を占めている。いずれも付属器具をつけて環縫いもできる。駆動方式は、踏み板を踏んでベルトではずみ車を回し、毎分最高800回程度の回転を得る足踏み式、モーターで毎分最高1200回程度の回転を得る電動式があり、手回し式は今日ではほとんどみられない。
縫い方式では環縫いと本縫いの2方式に分けられる。環縫いは、1本または複数の糸を布の下に垂れ下がらせて大きな輪にし、それに次の糸を引っかけて縫い目を形成する方法で、縫い目がほぐれやすい欠点があるが、縫い目自体に伸縮性があり、布の伸縮性を害さないことから、メリヤスなどの縫い目に使用されている。本縫いは上糸、下糸の2本の糸で縫い目をつくる方法で、上糸を伴った針が布を貫き、上糸でつくられた輪が戻らないようにして下糸をその中に通し、縫い目を形成する。これらの本縫いミシンは、かまの取り付けが垂直か水平か、かまが半回転か全回転か、天秤がカム式かどうかなど、機構の相違によって細かく分類される。
ジグザグミシンは本来工業用として発達したものであるが、基本的には本縫いミシンに、針振り機構を組み入れたものである。針棒が左右に揺動し、左右両方の位置で交互に上下運動を繰り返して縫い目を形成し、この運動と布送りを合成してジグザグ縫い目が形成される。針棒の揺動が両側か片側かによって、フル・ジグザグとセミ・ジグザグに分かれる。この機構は手動で変化させるもの、カムなどで自動的に変化させるものがあり、直線縫いのほかに千鳥縫い、刺しゅう縫い、ボタン穴かがりなどができる。現在ではIC(集積回路)の利用で操作はいっそう簡便化されている。
工業用ミシンは、普通限定された用途に用いる単能機で、数千種に及ぶといわれている。用途別におもなものをあげると、メリヤス用、布帛(ふはく)用(薄中物用、中厚物用)、しつけ縫い用、刺しゅう用、穴かがり用、ボタンつけ用、すくい縫い用、伏せ縫い用、手袋用、製靴用、皮革用、製帽用、麦藁(むぎわら)帽用、製本用などがある。これらは機構や形態を用途に適用させたもので、すべて電動式であり、一般に毎分3000回転から6000回転の高速度の縫いが可能である。また、縫い方式で分けると、本縫い、単環(たんかん)縫い、二重環縫い、扁平縫い、縁かがり縫い、複合縫いなどがある。そのほか近年ポリ塩化ビニル、ポリエチレン、ナイロンなどの熱可塑性のある素材を、糸を使わずに継ぎ合わせる溶着ミシン(高周波ミシン)が開発された。これはシート、フィルムを溶着して、縫い合わせと同様な効果を得るもので、針のかわりにつけた高周波装置の2個の金属ローラーの間に、シートを送り込んで高周波電流を流し、加熱、溶着する。これはミシンとよばれるが、原理や構造はまったく異なるものである。
[岡田浩海]
ここでは、もっとも一般的な家庭用本縫いミシンの基本構造について述べる。ミシンは縫い合わせるための機械装置である頭部、縫い合わせる布を操作するテーブル、足踏み式では駆動装置を併設する脚部とから構成されている。直線本縫いミシンの頭部の基本機構は、針棒、かま、天秤、送りの四つからなっている。
(1)針棒 上軸の一端に取り付けられたクランクは、針棒の途中にクランク・ロッドで連結され、上軸に伝えられた回転運動を針棒の上下運動に変え、針棒は上下して上糸を伴った針が布を貫く。
(2)かま 縫い目を形成するには、上糸と下糸が一針ごとに交差しなければならない。この操作をするのがかまである。下糸を静止させ、針とともに布の下にきた上糸は針の上昇によってたるみ、輪を形成した直後この輪を中がまの先端にある突起が引っかけ、引っ張って半回転し、糸を外すと下糸が上糸の輪を通り交差する。中がまは逆に半回転してもとに戻り、針が上糸を引き上げて縫い目を形成する。かまの半回転運動は上軸からクランク・ロッド、大振子を介して下軸に連結され、クランク・ロッドの上下運動により下軸の半回転運動が導かれる。
(3)天秤 上糸と下糸の交差がうまく行われるために、天秤は上糸の操り出し、引き締めを行う。上糸が中がまをくぐるときには十分たるみ、下糸と交差し終わった上糸が針とともに布の上に引き上げられるときには下糸の調子にあわせ、上糸を十分に張って縫い目を引き締めなければならない。これは、上軸の端にある天秤カムの案内によって上下運動が行われる。
(4)送り 布の送りは送り歯によって行われ、送り歯を前後させる運動と、上下に動かす運動とから成り立っている。送り歯は針が上がっているときに一縫い目分だけ布を送り、針が下がってくると、針板の下に下がって水平に後進しもとの位置に戻る。すなわち、上軸の端にある送りカムに連結された二またロッドが、カムの回転により水平送り軸に振動運動を与えると、その上方に向いた腕に留めつけられた送り台は往復して前後運動を行い、他方、クランク・ロッドと下軸を結ぶ大振子が、上下送り軸に連結されて振動運動を与え、上下送り腕の一端にあるころが、送り台の二またの間に連結されて送り歯は上下運動を行う。
ミシンは以上のような運動を操り返して布を縫い合わせてゆくが、これらの運動はすべて上軸から伝えられる力によって、相互に深い関連をもちながら行われている。
[岡田浩海]
ミシンの日本への導入は古く、1854年(安政1)、ペリーの二度目の来日時に江戸幕府13代将軍徳川家定(いえさだ)に贈呈されたことや、1860年(万延1)に中浜万次郎がアメリカから持ち帰ったことなどが指摘されている。1881年(明治14)に開催された第2回内国勧業博覧会に第1号の国産ミシンが展示されており、大正末期には量産体制が確立している。しかし、第二次世界大戦前は輸入ミシンが圧倒的であった。一時期、ミシンの輸入途絶により国産ミシンの生産が拡大しているが、第二次世界大戦中は、民需品であったことから家庭用ミシンの生産は中断している。
ミシンは家庭用ミシンと工業用ミシンとに二分されるが、日本のミシン工業の本格的な展開は第二次世界大戦後である。政府の指導のもとで全面的にミシン部品の規格が統一され、部品もしくはテーブル専門メーカーと完成品メーカーとに分化し、完成品メーカー側の大手企業数社による高い市場集中度の進展と専門部品メーカー側での中小企業の乱立という構造が形成されている。ミシン工業は、こうしたアッセンブリ体制のもとで生産を拡大し、高い生産性を達成している。当初は、コンピュータを内蔵したジグザグミシンなどの家庭用ミシンの生産が主力であったが、1985年(昭和60)ごろから工業用ミシンが生産額の過半を占めるようになった。
1990年代以降、ミシンの生産は長期停滞傾向をたどることになる。1990年(平成2)の生産台数240万台、国内生産額1783億円をピークに、2000年(平成12)にはそれぞれ約90万台、1105億円にまで落ち込んだ。さらに、2012年には、約20万台、285億円にまでに激減している。2000年と2012年との比較では、台数で、22.2%、生産額で、25.8%程度に規模が縮小している。また、2000年の台数の構成比は、家庭用ミシンが32%、工業用ミシンが68%であり、2012年にはそれぞれ、28%と72%となっている。2000年の生産額構成比は、家庭用ミシン、15.2%、工業用ミシン、84.8%であり、2012年には、それぞれ、9.2%、と90.8%となっている。総生産量が低迷するなかで、台数的には家庭用ミシンが28%台を維持しているが、金額では、90%以上を工業用ミシンが占めている。
ミシン生産を担う主要日本企業の国際競争力は強く、JUKI(ジューキ)は、工業用ミシンの売上高で世界1位である。シンガポール等で生産し、海外売上高は、中国、その他アジア諸国を中心に69%(2012.12)に達している。家庭用ミシンの売上高が国内1位の蛇の目ミシン工業は、タイ、台湾等で生産し、海外売上高が66%(2013)を占めている。ブラザー工業の海外売上高は80%(2013.3)になっているが、重心をデジタル機器等他事業に移行しつつある。
4人以上の縫製機械製造業の事業所数(工業統計表)は、2004年には219であったが、2010年までに84の事業所が減少し、135事業所となっている。2008年には、300人以上の規模は1事業所、200人から299人規模では3事業所となっている。この間、従業者数は、8079人から5342人にまで減少している。
輸出額は1992年をピークに低迷状況にあるが、生産額対輸出額の割合は高い。2009年の輸出額215億円は生産額の約97%に相当し、生産された工業用ミシンを軸にほとんどが輸出に向けられている。財務省通関統計の特殊性、逆輸入、在庫の存在、各社の生産のあり方等が影響しているのであるが、21世紀に入り、多くの年で、輸出量と輸出額が、生産台数や生産額を上回っている。輸出は停滞傾向の下で、依然として過度な海外市場依存が進行している。輸出先はアジア、アメリカ、ヨーロッパに拡散しており、中国等新興国や中東諸国にも輸出されている。また、輸入も、2001年の145億円から2012年の約110億円へと輸出ほどではないが、減少傾向にある。輸入の場合は、家庭用ミシンが占めるウェイトが大きく、国際分業の高度化が想定され、一部逆輸入があり、21世紀に入って、輸入額が、前年額を上回る年が多く認められるようになった。輸出対象国に分散化傾向があるのに対し、輸入対象国は、中国、台湾等一部のアジア諸国に集中していることと、とくに家庭用ミシンの輸入額の落ち込みが軽微なのが特徴的である。
国内メーカーによる台湾、中国等海外生産拠点の拡大、アパレル業界の不振、円高、厳しい国際競争等が停滞傾向を招いたことに加え、リーマン・ショックが、ミシン工業に深刻な影響を与えている。主要企業は、事業分野のシフトと新鋭機種投入でこうした状況に対応しようとしている。
[大西勝明]
『吉田元著『裁縫ミシン』(1978・家政教育社)』▽『チャールズ・シンガー他編、高木純一訳編著『技術の歴史10 鋼鉄の時代 下』(1979・筑摩書房)』▽『アンドルー・ゴードン著、大島かおり訳『ミシンと日本の近代――消費者の創出』(2013・みすず書房)』
布や皮革,紙などを縫い合わせたり,また,これに刺繡(ししゆう)をするための機械。使用目的により家庭用と工業用があり,機構に差はあるが原理はほぼ同じである。なお,ミシンという語は英語のソーイング・マシンsewing machineのマシンがなまったものである。
先端に糸(上糸)のついた針が布を貫通したとき,この上糸をとらえ針が上に戻っても,上糸が布の上に戻らないように,この上糸に妨害物をはさみ込みかんぬき状にすれば,2枚の布は固く縫い合わされる。この上糸に糸輪を作り,これに次の縫い目の上糸をとおして鎖状縫い目を作る縫い方を環縫いchain stitch,別の下糸を使用して上下の糸を絡み合わす方法を本縫いlock stitchという。図1はHA形ミシンの本縫いの状態を説明したものである。
これらの運動はすべて上軸の回転により,針の上下運動,てんびんの上下運動,下軸の半回転運動,送り台の前後上下動の4系統に分けられ,互いに連動して縫製運動を完成する。これらが正しい縫製を行うためには,このほかに,上糸調節装置,上軸回転断続装置,縫目送り調節装置,糸巻き装置等の補助装置がついている。足踏式ミシンの場合,毎秒約2回踏むと上軸は毎分約600回転となり,1縫目を2mmとしたときには1分間に約1200mm縫うことができる。したがって,電動用ミシンもだいたいこれに準じた少し速い範囲が標準となる。職業用として毎分約800回転するようになっているものもある。また,針棒を左右に振りながら縫いを行うと同時に布送りをするとジグザグ縫いができる。最近のミシンはそのほとんどがジグザグミシンとなり,これらの操作も電子機器を内蔵した優秀な機能をもつ自動縫製式の電動ミシンとなり,軽量小型化したポータブル式のほうが多くなっている。
家庭用ミシンはその縫目形式や,てんびん,かま方式などにより分類されている。その表示記号は直線本縫いがH,ジグザグ本縫いがZである。さらにジグザグミシンは,その縫目機構と発生機構,縫いの機能により分類され,照明器具内蔵,電動機内蔵,内蔵カム式,交換カム式もそれぞれ表示記号がある。工業用ミシンはまだ規格化されていない。しかし,その縫い方式などにより分類され,それぞれの表示記号がある。
ミシンの発明の歴史は,1755年にイギリスで特許をとったワイゼンソールCharles Weisenthalのものにまでさかのぼることができる。また90年にはロンドンの指物師セイントThomas Saintが環縫い式ミシンで特許をとっている。しかし,いずれも普及するにはいたらなかった。最初の実用的なミシンとしては,1830年にフランスの仕立屋ティモニエBarthélemy Thimonnier(1793-1857)が発明し,特許をとった環縫いミシンである。このミシンは40年にはフランス陸軍の軍服を縫うため,80台が製作された。しかし,このミシンの登場によって職を失うことを恐れた他の仕立屋によって破壊されてしまった。1832年から34年までの間に,アメリカのハントWalter Huntは先端に穴のあいた針によって,上糸と下糸による本縫い式ミシンの発明に成功した。しかし特許をとっていなかったため,後日他のミシン会社と訴訟問題が発生した。またアメリカのハウElias Howe(1819-67)はハントのものによく似たミシンを発明し,46年に特許をとった。50年I.M.シンガーは今日のミシンの基本的な構造を備えたミシンを発明し,51年に特許をとり,I.M.シンガー社(シンガー社)を設立した。グローバーWilliam O.GroverとベーカーWilliam E.Bakerは51年,2本糸による環縫いミシンを完成させ,グローバー・ベーカー社を設立した。それ以前の1849年に,ウィルソンAllen B.Wilsonは回転かまとボビンの組合せによる本縫いミシンを発明し,実業家ウィーラーNathaniel Wheelerの資金援助を受け,ウィーラー・アンド・ウィルソン社を設立している。その後ミシンの基本特許について,ハウとシンガーの間で訴訟問題が起き,54年に訴訟はシンガーの敗訴となったが,シンガー社はその間に技術的にも,企業規模においても大きく成長していた。シンガーは1851年から63年の間に20もの特許を取得し,シンガー社は全米第1位のミシン会社へと成長していった。1907年には第2位のウィーラー・アンド・ウィルソン社を合併,世界各国に工場を作るなど世界第1位のミシン会社となった。しかし第2次大戦後は,日本メーカーの追上げや技術革新への乗遅れなどにより,シンガー社のミシンは一時ほどの力はなくなった。
日本で最初のミシンは1854年(安政1)ペリーの2度目の来日のときに,将軍家定夫人に献上したウィーラー・アンド・ウィルソン社製のものとされている。日米修好通商条約の批准交換使節団に随行した中浜万次郎が,同じくウィーラー・アンド・ウィルソン社のミシンを60年(万延1)に咸臨丸で持ち帰っている。また68年(明治1)には《中外新聞》にミシンによる衣服仕立ての広告が載っている。また81年に東京で開かれた第2回勧業博覧会に,左口鉄造が国産第1号である環縫いミシンを出品している。
執筆者:吉田 元
日本のミシン工業は輸入ミシンの販売をする人々により,ミシンの修理,改造,さらに部品の製造という形で始まった。本格的な国産ミシンの製造は大正時代に入ってからである。1921年に小瀬与作,亀松茂,飛松謹一らによってパイン裁縫機械製作所(現,蛇の目ミシン工業)が創業され,小型ミシンの製造を開始し,29年には本縫いミシンを完成した。一方,1908年に外国ミシンの修理,部品製造を目的として安井兼吉により個人創業された安井ミシン商会(現,ブラザー工業)は,28年に麦わら帽子用環縫いミシンを製造,35年には国産機として初めてバック機能のついた家庭用ミシンを完成した。
これら国産ミシンは,品質その他の点でシンガーをはじめとする輸入品に及ばず,1935年の輸入7万5000台に対し,国産1万2000台であった。しかし日中戦争の影響により,アメリカからの輸入が39年にストップすると国産ミシンの生産台数は増加し,40年には戦前ピークの15万7000台が生産され,うち1万台が中国,東南アジアに輸出された。しかし品質的には二流品とされていた。そして,太平洋戦争の開始とともに家庭用ミシンは製造禁止となった。
第2次大戦後は,戦災により保有していたミシンが破壊されたこと,洋装,洋裁の普及によりミシンの需要が増大した。一方,供給も戦前のミシン工場の復活,兵器工場の転換などにより増加した。国による平和産業としての育成方針もあり,1947年には他業界に先駆けて部品の規格統一が行われ,48年からは規格部品の生産が開始された。生産台数をみると1946年が4万5000台(うち家庭用3万7000台)であったのが,51年には108万台(同103万台)と25倍近く増大した。その後もジグザグミシンなどの新製品の発売により,生産を順調に伸ばし,69年には475万台(うち家庭用434万台,輸出320万台)のピークに達した。
しかし,それ以降一貫して減少を続け,1997年には1969年当時のほぼ4分の1(134万台)の水準となっている。これを用途別にみると,家庭用が年々減少傾向にあるのに対して工業用は輸出を順調に伸ばしたことから,81年には生産額,85年には生産台数で家庭用を逆転した。生産台数の比率は,1969年は家庭用と工業用が9対1であったのが,97年には4対6となっている。しかし,工業用についても円高に伴う国際的な価格競争力の低下の影響などから,90年代に入って生産台数・金額とも減少傾向に転じている。
この間の内需動向をみると,家庭用では,(1)安価な既製服の浸透により女性の裁縫離れが進んでいること,(2)普及率が8割を超え飽和状態になりつつあること,工業用ではアパレル業界の不振により,全体として頭打ちである。一方,生産額の約8割を占めている外需も伸び悩みの傾向にある。これは,(1)円高基調を背景とした国際的な価格競争力の低下,(2)台湾・中国などアジア諸国の高級機への移行をにらんだ低・中級機の追上げなどによる。
日本のミシン工業は,組立てメーカーと部品メーカーの分業体制が特色である。95年現在,組立てメーカー55社のうち従業員100人以上のメーカーが21社と大規模少数なのに対して,部品メーカーは364社中,従業員9人以下が179社と小規模多数であり,組立てメーカーとの系列化も進んでいる。また,家庭用では上位3社が売上げの8割,工業用では5割を占めるなど,寡占産業でもある。
現在,ミシン工業では,家庭用については簡単な操作で洋裁が実現できるコンピューターにより制御されたミシンの開発,工業用では購入主体である縫製業界への合理化・省力化へのアドバイスなどを通じて国内需要の発掘に努めており,輸出依存度の高い工業用ミシンについては生産拠点の移転や,多種多様な製品の汎用化により価格競争力の向上を目指す動きもある。今後についても,限界的な市場規模を拡大するための新規需要の開拓,自動化,高速化,高精密度などの技術的な優位を維持しつつ効率化を推進することで国際競争力を確保する努力が続けられよう。
執筆者:徳田 賢二+黒田 満
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…49年木材や金属の切削機械の特許取得。51年ボストンの機械工場で働いていた際に,たまたまもちこまれたミシンの修理に従事し,その後ミシンの改良・開発に没頭。同年8月には特許を取得し,友人から資金を借り,I.M.シンガー社を設立。…
…また総務庁統計局の《日本標準産業分類》(1993改訂)では計量器・測定器・分析機器・試験機,測量機械器具,医療用機械器具・医療用品,理化学機械器具,光学機械器具・レンズ,眼鏡,時計・同部品を製造する産業を中分類の精密機械器具製造業としている。また精密機械工業といった場合に,前記のもののほか,事務機械工業,ミシン工業を含めることもある。さらにベアリング,歯車などの機械要素を加える場合もある。…
※「ミシン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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