日本大百科全書(ニッポニカ) 「ミネソタ・ツインズ」の意味・わかりやすい解説
ミネソタ・ツインズ
みねそたついんず
Minnesota Twins
アメリカのプロ野球球団。アメリカン・リーグ所属(中地区)。フランチャイズをミネソタ州ミネアポリスに置き、メトロ・ドームを本拠地としている。球団名の変遷は、ワシントン・セネタース(1901年)―ミネソタ・ツインズ(1961年)。
1900年までカンザス・シティにあったマイナー・リーグ球団のメンバーでチームを構成し、01年のアメリカン・リーグ発足と同時に加盟。ワシントンをフランチャイズとし、セネタースの名称でスタートした。1907年に、歴代2位の通算417勝という大投手ウォルター・ジョンソンがデビュー。しかし、球団初優勝はジョンソンの現役晩年、1924年になってからであった。この年、ワールド・シリーズではニューヨーク・ジャイアンツ(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)との対戦となったが、最終第7戦の9回からマウンドに上がったジョンソンが力投し、延長12回裏のサヨナラ勝ちを呼び込んで「世界一」となった。1925年、33年にもリーグ優勝したが、いずれもワールド・シリーズでは勝てなかった。アメリカン・リーグの球団数拡張が行われた1961年にフランチャイズをミネソタに移し、現名称へと改称した。1965年にリーグ優勝、両リーグ2地区制が導入され西地区所属となった69年からも2年連続地区優勝。1969年に本塁打と打点の二冠王となり最優秀選手(MVP)にも選ばれた大砲ハーモン・キルブリューHarmon Killebrew(1936― )が打線の中心であった。1982年に現本拠地が開場。「リトル・ビッグマン(小さな大打者)」カービー・パケットKirby Puckett(1960― )を中心に強力打線を形成した1987年にワールド・シリーズを制し、91年にも「世界一」となった。とくに1991年のアトランタ・ブレーブスとのワールド・シリーズは、前年最下位からリーグ優勝したチーム同士の対戦となり、すべての試合でホームチームが勝ったが、最終第7戦の10回裏にサヨナラ勝ちした。1994年から両リーグ3地区制となると中地区へ配属され、2001年のシーズンオフには球団移転問題が浮上。ひとまず残留することになった翌02年には、11年ぶりに地区優勝、03年と04年も優勝したが、いずれもリーグ優勝はできなかった。
[山下 健]
2005年以降
2005年は3位にとどまったが、翌06年は、投手三冠王を獲得したヨハン・サンタナ、首位打者となったジョー・モウアー、名外野手トーリ・ハンターなどの活躍もあり、地区優勝。しかし、プレーオフで敗退、またしてもリーグ優勝はならなかった。2007年は勝率5割を切り、3位に終わった。
1901年から2007年までの通算成績は、7963勝8597敗、地区優勝8回、リーグ優勝6回、ワールド・シリーズ優勝3回。
[編集部]