翻訳|Minnesota
アメリカ合衆国、五大湖地方の州。面積21万7735平方キロメートル、人口491万9479(2000)。州都セント・ポール。北をカナダ、西をサウス・ダコタ州とノース・ダコタ州、南をアイオワ州と境を接し、東はウィスコンシン州とスペリオル湖に面する。また、東境をミシシッピ川とセント・クローイ川が、西境をレッド川が流れる。森と湖の州として広く知られる同州は「1万の湖の州」と別称され、南東端部を除く全域が氷河の侵食作用を受けており、北東部を中心に針葉樹の森と1200を数える湖や河川、峡谷群が集まり、天然資源の宝庫ともなっている。南部と西部は肥沃(ひよく)な土地に恵まれた広大なプレーリー地帯が広がる。一般的に、冬厳しく夏暑い冷帯多雨気候を呈するが、気温はかなりの地域差がある。州の政治・経済・文化の中心が東部のセント・ポールとミネアポリスの双子都市に集中し、州人口の約60%がこの都市圏に集まる。豊かな天然資源に恵まれ、古くから林業、小麦を主とした農業、さらに鉱業と、時代とともに産業の中核が変化してきたが、現在は工業が隆盛期にあり、早くからおこった農業機械、食品加工、製粉、印刷・出版、製紙などを追い抜いた時代の先端をゆくコンピュータ、エレクトロニクス関連産業がその首位の地位を確保している。1890年に北東部のメサビ鉄山が発見され、世界最大の鉄鉱産地として君臨していたが、産出量が激減した近年は濃縮ペレットへの変換を余儀なくされている。かつて小麦中心であった農業は現在、農業収益の3分の2が牧畜に依存し、トウモロコシが小麦の生産高を上回っている。また、セント・ローレンス水路の完成後は合衆国最大の内陸港として活躍を続けていることも注目されよう。
17世紀中ごろにフランス人が入植したが、1763年にミシシッピ以東をイギリスに割譲し、83年に合衆国領となった。また、ミシシッピ以西は1803年のルイジアナ購入で合衆国領となった。1819年にはフォート・スネリングの町が開設され、49年に準州、58年に第32番目の州に昇格した。ボヤジャーズ国立公園など豊かな自然を残す北部森林地域を中心に、観光・行楽資源には事欠かず、観光産業が重要な柱として強い期待を担っている。教育・文化の中枢は、合衆国有数の規模を誇るミネソタ大学(1851創立)がその役割を果たしている。州名は先住民(アメリカ・インディアン)のことばで「紺碧(こんぺき)の水」を意味する。
[作野和世]
アメリカ合衆国中西部の州。略称Minn.。連邦加入1858年,32番目。面積20万6189km2,人口530万3925(2010)。州都セント・ポール,最大都市ミネアポリス。州名は北部森林地帯の先住民であったスー・インディアンの言語で本来〈濁った水〉〈曇り空のような水〉を意味するが,〈青空のように澄んだ水〉という解釈のほうが人気がある。北はカナダ国境で,北東部はスペリオル湖に面する。〈1万の湖水の州〉と呼ばれるように氷河湖が多く,実際に1万5291の湖水があり,ミシシッピ川本流の源流域である。湿潤大陸性気候で,根雪が数ヵ月も続く。州北東部を中心に林業が盛んであり,伝説的巨人ポール・バニヤンが活躍した舞台である。平たんな草原地も多く,小麦栽培が大規模に行われたので,ミネアポリスは製材,製粉の中心地として発達した。今日でも農業州としてエンバク(全米1位,1980),ジャガイモ(1位),トウモロコシ(3位),大豆(4位),牧草(4位)などの大産地となっている。州北東部とくにメサビ山地は合衆国最大の鉄鉱石産地で,五大湖水運の終点であるダルースから鉄鉱石が搬出される。政治的には革新的伝統を有し,農民労働者党が20世紀前半に優勢であった。H.H.ハンフリー,E.J.マッカーシー,W.F.モンデールは,こうした伝統を継いだミネソタ出身の政治家である。
執筆者:正井 泰夫+岡田 泰男
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