ムッサート(その他表記)Albertino Mussato

改訂新版 世界大百科事典 「ムッサート」の意味・わかりやすい解説

ムッサート
Albertino Mussato
生没年:1261-1329

イタリアの政治家詩人歴史家。早くに孤児となり,筆写で生活費を稼いだ。公証人となったのち,1296年生地パドバの評議会員となり政治家としての第一歩を踏み出した。種々の要職につき,1311年には外交官としてミラノのハインリヒ7世(神聖ローマ皇帝)のもとに赴く。コムーネの自由を守るためデラ・スカラ家のカングランデとの戦いに参戦,負傷して捕虜となった。その後パドバに帰還,15年の誕生日に,詩人,歴史家として戴冠栄誉に浴した。パドバの君主シニョーレ)となったカラーラ家と対立し,亡命地のキオッジャで没した。

 《皇帝ハインリヒ7世の事績De gestis Henrici Ⅶ Caesaris》(16巻,《Historia augusta》とも呼ばれる)などの歴史著述,韻文ラテン語による悲劇でエッツェリーノ・ダ・ロマーノの生涯を扱ったセネカ風の作品《エケリニスEcerinis》などがある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ムッサート」の意味・わかりやすい解説

ムッサート
Mussato, Albertino

[生]1261. パドバ
[没]1329. キオッジャ
イタリアの文学者,歴史家,政治家。人文主義運動のさきがけをなし,パドバ市を中心とする文化活動を展開,1312~28年にはスカラ家のカングランデに対抗しパドバの攻防戦に加わった。コンパーニ,G.ビッラーニとともに当時最大の歴史家であり,彼によって年代記から歴史への転換がなされたといわれる。主著は 1311~13年の史実をまとめた『エンリコ7世武勲の歴史』 De gestis HenriciVIICaesaris (16巻) 。

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世界大百科事典(旧版)内のムッサートの言及

【人文主義】より

…したがって人文主義の起源としては,いわゆるカロリング・ルネサンスや12世紀ルネサンスにさかのぼらねばならないし,さらにはアベラールやソールズベリーのヨハネスやリールのアラヌスといった文人たちにも言及せねばなるまい。またイタリアにおける先行人文主義者としては,ムッサートAlbertino Mussato(1261‐1329)の名前が真っ先にあげられるし,12,13世紀にローマ法を再興させたボローニャの法律学者たちを忘れてはならないとする主張もある。その点からすればルネサンス人文主義は中世人文主義の延長にすぎないとする中世主義者たちも少なくない。…

※「ムッサート」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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