ライアン・ロクテ(読み)らいあん・ろくて(英語表記)Ryan Lochte

知恵蔵 「ライアン・ロクテ」の解説

ライアン・ロクテ

アメリカの水泳選手。1984年8月3日、ニューヨーク州で、5人兄弟の3人目として生まれた。両親ともに水泳のコーチだったことから幼い時に水泳を始めた。5歳の時、父の仕事のため、フロリダ州ゲインズビルに一家で移り住む。少年時代は水泳よりも野球スケートボードを好んだが、ジュニアオリンピックで2位になってから水泳に熱心に取り組むようになった。高校卒業後、フロリダ大学に入学してからトップ選手として活躍し始める。
オリンピックには、2004年のアテネ大会から4大会連続で出場し、表彰台に通算12回上っている。これは男子水泳選手としては歴代2位の記録である。他にも世界の主要大会で70個のメダル(うち優勝は45回)を獲得し、10年と11年は全米及び世界最優秀スイマーに選ばれた。TwitterInstagramフォロワーは100万以上、Facebookの「いいね!」は65万8000人。多くのファンを持つスター選手である。
主な成績は、オリンピック初出場のアテネ大会の200メートル個人メドレー銀メダル、4x200メートルフリーリレー金メダル、05年モントリオール世界選手権の200メートル個人メドレーと200メートル背泳ぎ銅メダル、4x200メートルフリーリレー金メダル。07年のメルボルン世界選手権では200メートル背泳ぎで世界選手権個人種目で初優勝し、同時に世界新記録も樹立した。08年北京オリンピックで200メートル背泳ぎを世界新記録更新してのオリンピック個人種目初優勝、4x200メートルフリーリレー金メダル、200メートルと400メートルの個人メドレー銅メダル。12年ロンドンオリンピックでは400メートルの個人メドレーと4x200メートルフリーリレーで金メダル、200メートル個人メドレーと4x100メートルフリーリレーで銀メダル、200メートル背泳ぎで銅メダルを獲得した。
リオデジャネイロオリンピックイヤーの16年は、400メートルメドレーで日本の萩野公介瀬戸大也の最大のライバルと目されていたが、オリンピック米国代表選考会で、足の付け根を痛めた影響から3位に終わり、この種目でのオリンピック出場を逃した。この大会で唯一出場した種目は4x200メートルフリーリレーで、金メダルを獲得した。しかしその4日後の早朝、選手4人で選手村に戻る途中警察バッジを持った男に銃で脅され、現金400ドル(約4万円)を奪われたと訴えたことが虚偽証言と判明し、飲酒後に立ち寄ったガソリンスタンドで、トイレの鏡などの設備を壊したためのトラブルだったことが真相だったと発覚。17年6月までの資格停止処分を受け、金メダルの報奨金などは没収され、スポンサーも失った。

(葛西奈津子 フリーランスライター/2016年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

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