ラバヌスマウルス(その他表記)Rabanus Maurus

改訂新版 世界大百科事典 「ラバヌスマウルス」の意味・わかりやすい解説

ラバヌス・マウルス
Rabanus Maurus
生没年:780-856

ドイツベネディクト会修道士,マインツ大司教。フラバヌス・マウルスHrabanus Maurusともいう。〈ゲルマニア教師〉と称される。若くしてフルダ修道院に入り,トゥールにおいてアルクインの下で学び,804年フルダ修道院学校長になり,822-842年修道院長の職を果たした。847年ドイツ王ルートウィヒの任命によってマインツ大司教になった。独創的な学者ではなかったが,重要な功績は聖職者養成に献身し,カール大帝時代の学問教育政策を継承し発展させたことにある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラバヌスマウルス」の意味・わかりやすい解説

ラバヌス・マウルス
Rabanus(Hrabanus) Maurus, Magnentius

[生]780? マインツ
[没]856.2.4. ウィンケルアムライン
ドイツのカトリック聖職者,神学者。ドイツ人文学教育の確立者であり,「ドイツの教師」と呼ばれる。ベネディクト会のフルダ大修道院に入って教育を受け,801年司祭。 802年ツールでアルクイヌス師事。 803年フルダの付属学院長となり,ドイツで最も高名な学院の一つに育てた。 814年司祭,822~842年フルダ大修道院院長をつとめ修道院を大きく発展させた。その後ペテルブルグに引退したが,47年からマインツ大司教となり,3度の教会会議を開いた。当代随一の碩学であり,独創性には乏しいが多くの著作によってカロリング・ルネサンスに大きな影響を及ぼした。聖書注解,『聖職者教育論』 De institutione clericorumのほか,文法論,百科全書『ものの本性』 De rerum naturis (通称 De universo,22巻) ,詩などが残されている。福者。

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世界大百科事典(旧版)内のラバヌスマウルスの言及

【キリスト教文学】より

… カールの朝廷に集まった多くの文人中,詩人として名高いのは復活祭前主日の賛歌《栄えと称賛,誉れとを享(う)けたまえ,あがない主キリストよ》などの作者オルレアンのテオドゥルフTheodulf(750ころ‐821ころ)やアンギルベルトAngilbert(745ころ‐814)らであるが,《ランゴバルド史》の作者パウルス・ディアコヌスPaulus Diaconus(720ころ‐797ころ)にも《大教皇グレゴリウス伝》や,8音階の源となった《バプテスマのヨハネへの賛歌》などの詩がある。アルクインの流れは多くのすぐれた宗教詩人を生み,中でもフルダ修道院によったラバヌス・マウルスやゴットシャルク,ワラフリド・ストラボWalahfrid Strabo(808か809‐849)は,それぞれ敬虔な,あるいは哀切な,また優雅な賛歌の作者として知られる。ほぼ同代に詩人セドゥリウス・スコトゥスSedulius Scotus(9世紀半ば),エリウゲナがあり,後者は多くの思弁哲学や神学の著述で中世学界に重きをなした。…

【ラテン文学】より

…聖堂と修道院に学校が創設され,古典の教養の深い聖職者が各地から集められて,古典文化復興の気運が高まった。アルクイン,テオドゥルフTheodulf,ラバヌス・マウルスなどがこの時期に活躍している。10世紀のオットー帝国もイタリア文化を尊重してラテン語を公用語にしたが,12世紀から13世紀にかけて再びルネサンス運動が起こって,ボローニャ,パリ,オックスフォードなど各地に相ついで大学が創設され,アベラール,トマス・アクイナス,R.ベーコンなどの大学者が登場した。…

※「ラバヌスマウルス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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