8世紀末から9世紀初めにかけての,カロリング朝フランク王国のカール大帝時代にみられた文化興隆の動きをいう。カール大帝は,彼がよみがえらせた西欧の帝国のキリスト教化と文化の復興に,強い使命感をもっていた。彼の帝国もカロリング朝も短命に終わるが,彼によって点火されたカロリング・ルネサンスはやがて実を結び,〈宮廷文化〉としての限界はあるものの,西欧文化の真の夜明けをもたらした。
カールの治世当初の荒廃した知的環境のもとでは,ラテン的・キリスト教的な古典復興の仕事は,かろうじて古典を保存できた修道院出身の学識ある聖職者の手にゆだねられた。宮廷の周辺には,アインハルトのようなフランク人もいたが,イングランドのアルクイン,イタリアのペトルスPetrus,スペインのテオドゥルフThéodulf(750ころ-821)のように,外国から招かれた学者が多く,この運動の全西欧的な性格を示している。アイルランドの修道院が正しいラテン語の教育に貢献したこと,〈カロリング朝の小字体〉が16世紀以来活字体ローマ字にモデルをあたえたことも特筆されよう。古典の復興は聖職者の教育にとどまらず,教会法,神学,ローマ法,科学思想,人文学,芸術(カロリング朝美術)など,知性の広い分野に波及していった。
執筆者:井上 泰男
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カール大帝の宮廷を中心とした一種の古典復興運動。同帝が十分な教養を持つ官吏と聖職者を確保するために,修道院や司教区に学校創設を命じた(789年)ことに始まり,彼の「宮廷アカデミー」を中心に開花した。特にラテン語知識の強化をめざし,アルクイン,パウルス・ディアコヌスなどが活躍した。その産物であるアインハルト『カール大帝伝』には,ローマ帝政期の文人スウェトニウスの影響が強くみられる。
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…温泉については,ローマ期以前から知られており,その後ローマ駐留軍の保養地兼軍事的拠点となって集落が発達した。歴史的には,カール大帝が好んでこの土地に滞在して王宮を造営し(先例は765年の文書で確認されるメロビングの王宮),いわゆるカロリング・ルネサンスの中心地となり,オットー1世(大帝)の戴冠(936)以降ドイツ国王は〈アーヘンの椅子に座る〉ことが慣行となり,正統性獲得の要件となった。都市アーヘンはこのカール大帝の宮廷の周辺に発達し,フリードリヒ1世バルバロッサ帝の下で特権を獲得,1166年帝国都市となり,12世紀末と14世紀初期の2度にわたって市壁を完成した。…
…この〈中世ラテン科学〉は,ギリシア,アラビアの学術文献が精力的にラテン語訳された12世紀の大翻訳時代を境に大きく前期と後期に分けられる。さらに前期は3~4世紀の〈教父の時代〉,5~7世紀の〈ラテン編纂家の時代〉,8~9世紀の〈カロリング・ルネサンスの時代〉,10~11世紀の〈アラビアとの接触の時代〉に,後期は〈12世紀ルネサンスの時代〉,13世紀の〈自立と総合の時代〉,14世紀の〈ガリレイの先駆者の時代〉に分けられよう。 3~4世紀に,キリスト教は他宗教を圧してヨーロッパに君臨する基盤を整えるが,このときギリシアの科学や哲学はキリスト教教父たちの手にうつり,この立場から再考察の対象となる。…
…カールはこの礼拝堂の大理石石材やモザイクをラベンナから運ばせたが,それは彼が目ざしたローマ帝国の再興が,実際に古代の遺品の上に建設されることによっていっそう確かなものになると信じたからである。この一事例のなかにも,カールの時代がカロリング・ルネサンスの名で呼ばれることの理由をみることができよう。しかし古代からの摂取はこの集中式プランの建築よりも,長堂のバシリカ形式がもっと明瞭に示す。…
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[文化的貢献]
フランク王国が後世に残した最大の貢献として,古典文化,とりわけラテン文化の継承と,後代への伝達が挙げられる。メロビング朝時代にラテン文化を担ったのは,主としてローマ系のセナトル貴族層であったが,とりわけカール大帝は,アルクインその他の聖職者の力を借りて,教育制度の改革(宮廷学校や修道院学校の設置)を行い,ラテン文化の普及に努めたので,一般にカロリング・ルネサンスと呼ばれる。近代にいたるまで一般教育の中核となった教養七学科(自由七科)が教育内容として確立されたのもこの時代である。…
…イングランドにも7世紀後半に,古典研究を聖書研究に不可欠とするヒエロニムス以来の考えを継承するアルドヘルムとベーダが登場し,その後継者ボニファティウスは大陸に渡って,フランク王国の教会改革に乗り出した。 8世紀中葉にカロリング朝が起こると,カール大帝の下でカロリング・ルネサンスが始まる。聖堂と修道院に学校が創設され,古典の教養の深い聖職者が各地から集められて,古典文化復興の気運が高まった。…
※「カロリングルネサンス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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