ローマの属州。ガリア北東部のライン左岸,ラインラントのローマ化はカエサルによる占領に始まった(前58-前51)。ラインラントからベルギーにかけては,トゥングリ,トレウェリおよびネルウィイなど,ケルト人と混血した〈ライン左岸のゲルマン人Germani cisrhenani〉が定住し,アルザスからブルゴーニュ東部では,ヘルウェティイ,ラウラキおよびセクアニなどのケルト人に占められていた。皇帝アウグストゥスのガリア行政区の設定(前16)では,属州ゲルマニアはいまだ存在しないが,彼の軍事行動はライン川を越えてエルベ川まで延び,兵站(へいたん)基地のラインラントのローマ化を促した。1世紀後半,帝国はバタウィ人などのゲルマン人らの反乱を鎮圧し,さらにカッティ人を討って,ライン左岸のアグリ・デクマテスAgri Decumatesを領有した。これによりライン川右岸の安全は確保され,〈上ゲルマニアGermania Superior〉と〈下ゲルマニアGermania Inferior〉とからなる属州が成立した(89)。ローマ化の基盤は,ガリア住民の城塞的集落(オッピドゥム)からローマの影響下に発展した都市(キウィタス)であった。以後,セウェルス朝(193-235)まで続いたガリアの平和の時代では,属州経済はライン軍団の膨大な物質調達に依存したが,通商路の安全により,交易は活発化し,当地の大土地経営者と外部からの投資が盛んとなった。しかし,3世紀後半,アラマン人によるアグリ・デクマテスの占領とフランク人のガリアへの大規模な侵入は,ガロ・ロマン文化の突然の終焉(しゆうえん)をもたらし,属州経済も衰え,再び立ち直ることはなかった。
→ガリア
3世紀末,皇帝ディオクレティアヌスの帝国再編制では,上ゲルマニアは,その南部が〈マクシマ・セクアノルムMaxima Sequanorum〉(行政府はブザンソン)として分離して〈ゲルマニア・プリマGermania Prima〉(同マインツ)となり,下ゲルマニアは,〈ゲルマニア・セクンダGermania Secunda〉(同ケルン)と改称された。続くコンスタンティヌスおよびウァレンティニアヌス両朝の諸帝は,ライン防衛線の再建に成功して,最後の〈ローマの平和〉の時代を築いたが,ライン軍団維持の経済的負担を属州民に負わせ,重税による中産階級の崩壊を招いて,彼らを富裕・貧困両極の階級に分裂させた。ガロ・ロマン系住民の人口は,慢性的食糧不足による出生率の低下と3世紀後半のゲルマン侵入の荒廃によって減少し,これを補うゲルマン人の強制移住とライン軍団のゲルマン化とがゲルマン人口の比率を高めた。4世紀末から5世紀初頭にかけて,すでにゲルマン人の優勢は決定的であった。文化面では,南西ガリアで栄えたラテン文学は,当地ではまったく不毛であり,石彫などの造形芸術も3世紀中期以後ふるわなかった。都市司教座制の教会組織は4世紀の30年代になって初めて形成されるが,ゲルマン民族移動期の5世紀後半には,ライン諸都市から司教の活動は見られなくなる。
→ゲルマン人
執筆者:徳田 直宏
100年ころに活躍したローマの歴史家タキトゥスの書。執筆の時期は《アグリコラ伝》と同じころ(98年)である。《ゲルマニア》は,ライン川の西,ドナウ川の北に居住していたゲルマン諸部族のようすを語る民族学の書であり,カエサルの《ガリア戦記》とともに,当時の状況を伝える重要な史料の一つである。著者自身が認めているごとく,本書はポシドニウス,カエサル,リウィウスらの記述に基づいており,タキトゥス自身はゲルマニアを訪れたことがなかったと思われる。異民族の地理風俗を報告する記述は,前6世紀ギリシアの著作家ヘカタイオス以来の伝統を背負っており,本書もこのジャンルの一つとして位置づけられる。本書執筆の動機は議論の分かれるところであるが,一説には素朴で高貴で勇敢な蛮族を描いて,当時腐敗堕落していたローマの社会に警鐘を鳴らそうとしたのであるとも言われている。
執筆者:平田 真
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ローマの政治家・歴史家タキトゥスの作品。原題は『ゲルマニア人の起源と風俗について』。ライン川とドナウ川の北のゲルマン人諸部族についての記述で、ゲルマニアに関する最初のまとまった作品。西暦98年に公刊された。新興のゲルマン人と退廃しつつあるローマ人とを対比して、北方の脅威に対するローマ人の注意を喚起し、道徳的な警鐘を鳴らしたものと解されるが、純粋な知的関心から生まれたものとみる説もある。全編46章。それぞれが短い叙述からなる。二つの部分に分けられ、第1部(第1~27章)は、ゲルマン人一般の習俗、祭祀(さいし)、冠婚などについての概観であり、第2部(第28~46章)は、ゲルマン人諸部族の個々についての記述となっている。原始ゲルマン人の歴史、ドイツ古代史の第一等の史料として、カエサルの『ガリア戦記』と並称される。
[長谷川博隆]
『泉井久之助訳註『ゲルマーニア』(岩波文庫)』
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古代ローマの史家タキトゥスがゲルマン人の風俗,習慣などを記したもの。退廃しつつあるローマ人の戒めのためゲルマンの純朴さを強調しすぎた点もあるが,原始ゲルマンについての最重要の史料。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…ところが後9年,ローマの総督ウァルスPublius Quintilius Varusが,トイトブルクの森で,ケルスキ族の長アルミニウスの軍の奇襲をうけて大敗を喫して以来(トイトブルクの戦),ローマは守勢に転ずることとなり,ライン川の中流からドナウ川の上流に達する三角地帯に長城(リメス)を築いて,ゲルマン人の侵入に備えることとなった。ローマはまたライン川左岸に下ゲルマニア,上ゲルマニアの二つの属州を設け(ゲルマニア),三角地帯のデクマテス地方に多数の城砦を築いたため,これらの地域にはローマ文化の影響が色濃く印せられた。それ以来,ゲルマン諸族に対するローマ帝国の国境線は,民族大移動のはじまる4世紀末に至るまで,長くライン川,リメス,ドナウ川を結ぶ線と考えられるに至ったのである。…
…そこでは,ドイツ法の根源はゲルマン法にあり,ドイツ法史は中世の末にいたるまでゲルマン的特徴を帯びており,〈ローマ法の継受〉によって初めてこの点に転換が生じたという基本的前提がとられている。こうした考え方が生まれたのは,16世紀のことで,15世紀に写本が発見,刊行されたタキトゥスの《ゲルマニア》を主たる材料としたゲルマン人像の形成,1530年と57年におけるゲルマン諸部族法典の最初の活字本の公刊などがなされた。それが19世紀に入り,歴史法学派の民族精神論と結びついてゲルマニストの根本見解となったのである。…
…イギリス政府はその統治の目的を達するため,これら高地スコットランドのクランの組織を破壊しなければならなかった。 ゲルマン人についても,カエサルはその《ガリア戦記》の中で,その当時スエウィ族が,〈氏族および親族ごとに〉定住したと述べており,その後1世紀半をへだてたタキトゥスの《ゲルマニア》には,ゲルマン人の戦闘隊形が,〈家族および近親別に一団を結んで〉編成されたという文字がある。これらの記録を,古代ゲルマン人の共同体や,民主的な合議制に関する他の記事とあわせて考察するならば,彼らが,本来,なんらかの氏族的な単位集団を基礎に,その部族組織を形成していたことをうかがいうるであろう。…
…最初の作品《アグリコラ》(98)は妻の父G.J.アグリコラの賞賛的伝記で,ブリタニア総督としての義父の功績と諸種族の平定を頂点に,ブリタニアの民族誌をも挿入し,全体としてはドミティアヌス帝に忠誠であったアグリコラをドミティアヌスの犠牲者でもあるとして弁護しようとする。同じ98年の作品である《ゲルマニア》は,その前半部(1~27章)において,一般的にゲルマニアの地理,住民の風俗・習慣,制度を記し,後半部(28~46章)において種族ごとに制度や歴史を記している。異民族についてローマ人の記した例のない作品で,皇帝に隷従し堕落したローマ社会に対して,自由と独立の精神を失わず名誉心と戦意の盛んな若い民族を示して警告とするとともに,彼らが分裂している限りローマにとっての深刻な危険とはならないことも指摘している。…
…いきおい以下の叙述も,新旧両説の対比という色彩を帯びざるをえないが,両説の相違は基本的には,ゲルマン社会における階層分化の進展をめぐる問題にあるとみることができよう。
[王権の性格]
1~2世紀のローマの史家タキトゥスは古ゲルマン人の社会状態について《ゲルマニア》で詳述しているが,これによれば,その時代のゲルマン人はキウィタスと呼ばれる多数の小政治単位に分かれていた。タキトゥスは世襲的王(レクス)を頂くキウィタスと,全人民の構成する民会で選ばれる首長(プリンケプス)に統治されるものと,二つの政治形態を区別しているが,世襲王制は首長制に比べ,王の有する権力の強さによって特徴づけられるのではなく,王の家門が神に由来するという,王権の宗教的性格によって特徴づけられ,最近の研究はこれを神聖王権という概念で把握する。…
…セネカはストア学派の思想と修辞学とを結合した多くの哲学書と書簡集,ギリシア悲劇に基づく9編の悲劇などを残した。タキトゥスは歴史家として,帝政の悪事を余すところなくえぐり出した大作《年代記》と《歴史》,および小品の《ゲルマニア》と《アグリコラの生涯》を,また修辞学者としては《弁論家についての対話》を著した。ほかにウェレイウス・パテルクルスVelleius Paterculus,クルティウス・ルフスCurtius Rufus,フロルスなどの歴史家の名がみられる。…
※「ゲルマニア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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