ラフム朝(読み)ラフムちょう(その他表記)Lakhm

改訂新版 世界大百科事典 「ラフム朝」の意味・わかりやすい解説

ラフム朝 (ラフムちょう)
Lakhm

アラブのタヌーフ族が南イラクヒーラに都して建設した王朝。3世紀半ば~602年。ヒーラ王国ともいう。ササン朝ペルシアの宗主権下にあり,盛時には領域はシリア砂漠からバフライン(現在のハサー)にまで及んだ。最初の数代の王はアズド族の出身であったが,アムルはラフム族に属し,以後1人の例外を除き,代々の王はアムルの子孫によって占められた。6世紀の初めキンダ王国の王ハーリス・ブン・アムルの支配を受けたが,529年ムンジル3世はハーリスとその一族50人あまりを殺してキンダ王国を滅ぼし,シリアへ遠征してアンティオキアまで至った。その子アムルはタラファ,ハーリス,アムルなどの詩人を保護したことで有名。最後の王ヌーマーン3世はネストリウス派のキリスト教に改宗したが,602年ササン朝皇帝ホスロー2世によって廃され,ラフム朝は滅びた。その後ヒーラはササン朝の直接支配を受け,633年アラブによって征服された。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ラフム朝」の意味・わかりやすい解説

ラフム朝
ラフムちょう
Lakhm

メソポタミア南部にあったアラブのタヌーフ族の王国 (3世紀中頃~633) 。ササン朝属国で,遊牧アラブの侵略からの防御と,ビザンチン帝国との戦いの先兵として使われた。国王アムル (在位 554~569) はアラブの吟遊詩人の保護者として有名で,首都ヒーラには多くの詩人が集った。ネストリウス派キリスト教が国内で勢力をもち,5世紀には王家も改宗した。 633年アラブ・イスラム軍の将軍ハーリド・イブヌル・ワリードに征服された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「ラフム朝」の解説

ラフム朝(ラフムちょう)
Lakhm

先イスラーム期のアラブの王朝の一つ。3世紀末より602年までイラクのヒーラを中心に栄えた。サーサーン朝より下賜金を受けて対ビザンツ戦の先陣を務める一方で,アラブ遊牧民の覇者となるべくガッサーン朝やキンダと争った。

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