ランブール兄弟(読み)ランブールきょうだい

改訂新版 世界大百科事典 「ランブール兄弟」の意味・わかりやすい解説

ランブール兄弟 (ランブールきょうだい)

ネーデルラントフランコ・フラマン派の画家兄弟。ポールPol de Limbourg,ヘルマンHerman de L.,ジャンJean de L.の3人。いずれもヘルデルラントの出身で,いずれも生年は不詳,1416年ごろ没。父アルノルトは彫刻家。ブルゴーニュ公に仕えた画家マルーエルJean Malouelの甥に当たる。1399年ごろヘルマンとジャンはパリの金工師の工房で修業しており,またポールとジャンが1402年にブルゴーニュ公のために聖書写本の装飾にたずさわったことが記録に残っている。兄弟がブールジュベリー公に仕えはじめたのは1405年ごろかららしいが,史料的に確実なのは09年以降である。三兄弟のうちポールが最もすぐれ,ベリー公の従者となり,数々の恩恵に浴している。現存作品はほとんどベリー公のために制作された数冊の時禱書中の写本装飾であるが,史料的に確証ある作品は,公の図書目録の記述と一致する《いとも豪華なる時禱書》(シャンティイ,コンデ美術館)ただ一つであり,公と兄弟の死によって16年制作が中断され,80年代にサボア公の手中にあったとき,コロンブの手で完成された。メトロポリタン美術館(クロイスターズ)の《美しき時禱書》も,1405-10年ごろにランブール兄弟が公のため制作したことが様式的に確実視されている。

 彼らの作品は,同時代のパリの写本工房による作品群の中で傑出しており,むしろマルーエルやベルショーズHenri Bellechoseに帰せられる同時代の板絵作品に様式的に近い作例がみられ,おそらくランブール兄弟は単なる写本装飾画家ではなく,ベリー公が板絵画家を特別に写本画制作に従事させたとも考えられる。彼らの作風には,北方的な鋭い観察眼に加えて,イタリアから直接・間接的に図像・構成の両面にわたって多くのものを摂取したことが認められるが(国際ゴシック様式),それらを華麗な色彩でつつみこみ,現実的というよりは幻想的な独自な世界を現出させている。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のランブール兄弟の言及

【オランダ美術】より

…ハールレムが生んだオランダ最大の彫刻家C.スリューテルは国際ゴシック様式にくみせず堂々たる量感に富んだ石彫像を制作して新たな写実主義への道を開いたが,もっぱらフランスのディジョンで活動したため出身地にはほとんど影響を残していない。絵画においてもミニアチュール画家としてフランスの宮廷で活躍したマルーエルJan Malouel(?‐1415)とランブール兄弟,ルーバンで市の画家を務めたバウツなどは,北部の出身であるにもかかわらず,通常はそれぞれフランスおよびフランドル美術史の中に位置づけられている。北部内での美術活動としてはユトレヒトのアドリアーン・ファン・ウェーセルAdriaen van Wesel(1420ころ‐89ころ)による木彫像制作や同市における伝統あるミニアチュール制作が挙げられる。…

【国際ゴシック様式】より

…これは,イタリア,ネーデルラント,ドイツの都市で経済力を得,教会,王侯と並んで芸術のパトロンとして成長した富裕な市民層の日常感覚の反映を示すものといえる。 国際ゴシック様式が最も典型的にみとめられるのは,フランス王侯の宮廷で,イタリア絵画の革新の成果と接触しながら制作したネーデルラント出身の工人たち,アンジュー公のためにタピスリー(いわゆる《アンジェの黙示録》)の下絵を制作したJ.バンドル,ブルゴーニュ公に仕えた板絵画家J.マルーエル,H.ベルショーズ,ベリー公に仕えた彫刻家A.ボーヌブー,写本装飾画家J.ド・エダン,ランブール兄弟など,〈フランコ・フラマン派〉と称せられる人々の作品である。彼らはギルドの束縛をはなれ,王侯の従僕として祝祭の装置から家具調度の修理まで美術の各分野にわたって幅広く活動している。…

【ゴシック美術】より

…ハンザ同盟諸市は民衆的な率直な画風をむかえ,14世紀から15世紀初めにハンブルクでマイスター・ベルトラムMeister Bertram von Minden(1340ころ‐1415ころ)が名高く,同じころコンラート・フォン・ゾーストKonrad von Soest(1370ころ‐1425ころ)はケルン派の様式をまじえ,マイスター・フランケは国際ゴシック様式に近づいている。フランスやネーデルラントでは15世紀初め,マルーエル,ブルーデルラムや,《ベリー公のいとも豪華な時禱書》の装飾をしたランブール兄弟らが国際ゴシック様式の最後をかざり,やがてファン・アイクは写実主義を徹底させ,油彩技法によって個人的視覚を確立して,新しい近代絵画の第一歩を踏み出す(ヘントのシント・バーフ教会の《神秘の小羊》大祭壇画,1432)。彼やファン・デル・ウェイデンらのフランドル画派は,建築よりも先んじて絵画をゴシック様式から解放したといえよう。…

【時禱書】より

…おもな写本彩飾画家としては,14世紀前半イギリスの《グレー・フィッツ・ペインGrey‐Fitz Paynの時禱書》や《テーマウスTaymouthの時禱書》などの作家たち,フランスのJ.ピュセルやJ.ド・エダンらがいる。しかし時禱書の最初の黄金時代を築いたのは《ベリー公のいとも豪華なる時禱書》(15世紀初め)を描いたランブール兄弟で,彼らは初めてカレンダー・ページに貴人や農民の生活を季節感のあふれる自然の中に描写した。その後この月暦表現の伝統は,15世紀末から16世紀前半にかけてブリュージュで国際的な写本工房活動を行ったアレクサンダー,S.ベニングやホーレンバウトらに継承された(事実,このベリー公の写本は,16世紀前半ネーデルラント総督マルガレータの時代に,一時メヘレンの宮廷で所蔵され,フランドルの写本制作に影響を与えたと思われる)。…

※「ランブール兄弟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

青天の霹靂

《陸游「九月四日鶏未鳴起作」から。晴れ渡った空に突然起こる雷の意》急に起きる変動・大事件。また、突然うけた衝撃。[補説]「晴天の霹靂」と書くのは誤り。[類語]突発的・発作的・反射的・突然・ひょっこり・...

青天の霹靂の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android