リベラルアーツ

精選版 日本国語大辞典「リベラルアーツ」の解説

リベラル‐アーツ

〘名〙 (liberal arts)
職業に直接関係のない学問芸術のこと。実用的な目的から離れた純粋な教養
※詩辨(1891)〈内田魯庵〉「吾人能く之を解すると怠るとに由りては心芸(リベラル、アーツ)ともなり或は器械術(メカニカルトレード)ともなる」
② 専門に分かれる前の一般教養大学の教養課程。

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とっさの日本語便利帳「リベラルアーツ」の解説

リベラルアーツ

一般教養科目通常人文科学社会科学、自然科学系を指し、米国カナダの大学では、一~二年次にこれらの科目を平均的に受講し、広い一般的知識を身に着ける。

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デジタル大辞泉「リベラルアーツ」の解説

リベラル‐アーツ(liberal arts)

七自由科しちじゆうか
大学における一般教養。教養課程。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

大学事典「リベラルアーツ」の解説

リベラルアーツ[仏]

自由な知的探究のためのディシプリンの総称。自由学芸あるいは教養諸学とも呼ばれ,古代ギリシア以来の歴史がある。中世の大学では神学,法学,医学を学ぶまえに人文(学芸)学部(faculté des arts)で学ぶべきものとされた。近代になるとリベラルアーツはおもに中等教育で教えられるようになるため,この語が大学で用いられることはまれになる。しかしアメリカ合衆国では,今でもリベラルアーツ・カレッジや伝統的な私立大学の一般教育の理念として生きている。

 古代ギリシアの自由人は,さまざまなアーツ(学芸)を学んでパイデイア(教養)を身につけようとした。プラトンはディアレクティケー(弁証法ないし問答術)を至高の学芸とみなしたが,それを学ぶまえに算術,幾何学,天文学,音楽を学んでおくべきとした。イソクラテスはレトリケー(修辞学)のための学校をプラトンのアカデメイアよりも先に設けていたが,数や事物にかかわる学芸は学ばなくともよいとした。プラトンの哲学(フィロソフィア=知を愛すること)はピタゴラス以来の科学を基礎づけ,のちにコペルニクスやガリレオを生むことになる。またイソクラテス由来の修辞学はキケロ,セネカ,クインティリアヌス,さらにペトラルカなどを経て,西欧近代の人文学的な教養の基盤をなすにいたる。

 ギリシアにおいて一連の学芸は「エンキュクリオス・パイデイア」(円環をなすパイデイア)と呼ばれた。それがローマ時代に,キケロやワァロによって「アルテス・リベラレス」(リベラルアーツ=自由人にふさわしい諸学芸)と呼ばれるようになったとされる。キケロは,ギリシア時代には対立していた弁証法と修辞学を一つに統合しようと試みている。またアウグスティヌスは5世紀の初めに,プラトン以来の学芸の伝統をキリスト教の信仰とつなごうとしている。同じころ異教徒のマルティアヌス・カペラは『フィロロギアとメルクリウスの結婚』を著し,そのなかでフィロロギア(今でいう哲学)という名の花嫁の7人の侍女を自由七科(文法学,修辞学,弁証法,算術,幾何学,天文学,音楽)の化身とみなし,それぞれに自らの知を披瀝させている。

 セブン・リベラルアーツ(自由七科)はやがて「トリウィウム(三学)」と「クワドリウィウム(四科)」に分けられるようになる。6世紀にボエティウスは『算術教程』のなかで,算術,音楽,幾何学,天文学の四つをまとめて「四科」と呼んだ。三学(文法学,修辞学,弁証法)が一群とされた経緯は不明であるが,もとよりキケロの影響が大きいとされる。カロリング・ルネサンス(9世紀)の頃には,修道院学校においてリベラルアーツが教育の基本理念として定着している。

 11世紀末にこの伝統は,とりわけイタリアやフランスでふたたび活気を帯びてくる。教師が独自に開く学校あるいは次々と創られる司教座聖堂付属学校において,リベラルアーツは教えられるようになる。パリのセーヌ左岸に集まるようになった教師たちは,とりわけ文法学や弁証法(論理学)を教えた。「弁証法を武器」にして神学に挑み,教皇とベルナールに斥けられたアベラールは,そういう彼らの先駆者だった。

[リベラルアーツの変貌]

大学では神学部,法学部,医学部に進む学生も,将来の職業とは必ずしも関係のない教養科目を人文学部で学んでいる。しかしリベラルアーツのすべての科目が教えられたわけではなく,パリ大学では13世紀の間にクワドリウィウムは扱われなくなり,トリウィウムもアリストテレスの全哲学に取って代わられる(ヴェルジェ,2004)

 アラブ人のアヴェロエスによるアリストテレス注釈がパリ大学にもたらされ,ブラバンのシゲルスらによって教えられることで論争が生じた。アヴェロエスの説は1240年に禁じられ,さらに1513年には教皇レオン10世によって禁じられるが,真理と信仰をめぐるその果てしない論争のなかでトマス・アクィナスのスコラ哲学も生まれ,ゴリアールやユマニスト,そして哲学者や知識人など,近代を準備する形象も生み出される。のちにカントが哲学を近代の大学の基礎に据えるまで,哲学者たちの「放浪」は続くだろう。

 大学の外ではユマニストによって古典文芸の研究が,デカルトによって数学が,作曲家たちによって音楽が刷新される。メカニカルアーツ(職人のための技芸)とされていた絵画,彫刻,建築も,ルネサンスの巨匠たちによって「アート」(芸術)とみなされるようになる。18世紀にはダランベール,J.が『百科全書』の序文において,科学,リベラルアーツ,メカニカルアーツを知の三分野として対等に扱うべきであると主張し,ディドロ,D.もまた,大学の人文学部があいかわらずアリストテレスや死語となった古典語しか扱っていないことを非難し,数学や科学にも同じだけの時間を割くようにと提言した。しかし当時の大学はそういった運動を回収することはできなかった。また18世紀の「アンシクロペディー」はその膨大さによって,近代における知を一人の人間が把握するのは不可能であることを示していた。

 大学がフランス大革命で廃止されたフランスでは,ナポレオンが1802年に創設するリセ(フランス)において古典語,修辞学,哲学が教えられるようになる。リセのきわめて限られた数(当該年齢の1%ほど)の生徒のなかには,のちに小説家や詩人となって不可能な「リベラルアーツ」の夢を語る者もいた(フローベール,G.の『ブーバールとペキュシェ』,マラルメ,S.の「書物」)。19世紀半ばにはエコール・ポリテクニークへの進学をめざす生徒に数学をさらに学ばせるための学年が,いくつかのリセに追加されている(グランド・ゼコール準備級(フランス)の誕生)。ドイツではリベラルアーツはギムナジウムで学び,大学の哲学部はそれらの知を総合しうる批判的な精神を培うところとされた。しかしイギリスではオックスフォード大学とケンブリッジ大学のカレッジで「リベラル・エデュケーション」が維持されている。「教養ある紳士」(ジェントルマン)を培うその教育は,たしかに自由人のためのリベラルアーツの伝統を引き継いでいた。

 アメリカ合衆国の大学にもリベラル・エデュケーションは根づくが,多様な移民によって構成されるこの国では,20世紀中頃からむしろ市民を統合するための「ジェネラル・エデュケーション」(一般教育)が模索されている。今でも伝統的な私立大学の学士課程には,アーツ・アンド・サイエンシーズの1学部のみが置かれ,学生はそこでさまざまなディシプリンに触れながら自由に自らの専攻を選ぶことができる。

 現在,日本においてリベラルアーツが注目されている背景には,教養の理念をめぐる混乱もさることながら,世界の大学ランキングでアングロ・サクソン系の伝統的な大学が上位を占めているという事情がある。ただしイギリスやアメリカでも,その恵まれた環境で「自由人」としての教育を享受し,さらに大学院に進学して専門職教育を受けることのできる学生は限られている。大衆化された大学では,リベラルアーツは多様な職業教育のための「ネオリベラル・アーツ」のようなものへと変質している。自由人のたしなみか,それとも解放のための技芸かという,リベラルアーツがその起源から抱える問題は,現代においてもなお解決されてはいない。
著者: 岡山茂

参考文献: ジャック・ヴェルジェ著,野口洋二訳『ヨーロッパ中世末期の学識者』創文社,2004.

参考文献: 「特集 中世の自由学芸Ⅰ―ギリシアから前期スコラの時代へ」『中世思想研究』中世哲学会,56号,2014.

参考文献: 上垣豊編著『市場化する大学と教養教育の危機』洛北出版,2009.

出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報

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