日本大百科全書(ニッポニカ) 「リーベルマン」の意味・わかりやすい解説
リーベルマン(Karl Theodor Liebermann)
りーべるまん
Karl Theodor Liebermann
(1842―1914)
ドイツの有機化学者。ベルリンの織物業者の子に生まれる。ハイデルベルク大学でブンゼンに学び、1867年ベルリンの工業専門学校のバイヤーの研究室に入り、助手のグレーベとともに研究、1868年ここで天然の赤い色素アリザリンの人工合成に成功、その工業的製造を可能にした。1873年、この学校が昇格してシャルロッテンブルク工科大学になったとき教授となり、死ぬまで務めた。この間ベルリン大学やカイザー・ウィルヘルム研究所(現、マックス・プランク研究所)でも教授として教えた。彼は350編に上る研究論文を書いたが、その多くは芳香族有機化合物に関するもので、先の研究のほか、アントラキノン、ゴア・パウダー、ナフタレン化合物、コカのアルカロイドや天然の動物性色素コチニールなどについての研究が著名である。1906年パーキンメダルが与えられた。
[道家達將]
リーベルマン(Evsey Grigor'evich Liberman)
りーべるまん
Евсей Григорьевич Либерман/Evsey Grigor'evich Liberman
(1897―1983)
ソ連の経済学者。ウクライナに生まれる。1920年にキエフ(キーウ)大学、1933年にハリコフ(ハルキウ)技術経済大学を卒業。経済実務についたあと、1947年にハリコフ技術経済大学教授となり、1963年以降はハリコフ国立大学教授。この間、1957年に経済学博士。1962年9月9日号の『プラウダ』に、当時の首相フルシチョフの同意を得て発表した論文「計画・利潤・報賞金」で利潤導入方式を提案し、いわゆる「利潤論争」の口火を切ったことで知られる。
[佐藤経明]