人口約130万人のウクライナ第2の都市。ロシア国境から約30キロの距離にある。ロシア軍は2022年2月の侵攻開始直後に市郊外まで迫り、市内は砲撃で大きな被害を受けた。ウクライナ軍は同年5月中旬に国境近くまで押し戻した。東部での進軍を目指すロシアは今年1月以降、ミサイルや無人機(ドローン)で集中的に攻撃し、甚大な被害が出ている。(ハリコフ共同)
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ウクライナ北東部の都市で,同名州の州都。面積303km2,人口144万5173(2005)。人口ではキエフに次いでウクライナ第2位,旧ソ連邦全体でも第6位の都市であった。北ドネツ川の三つの支流のハリコフ川,ロパニ川,ウダ川の合流点に位置する。1655-56年にウクライナ・コサックによって建設された。市名はハリコフ川に由来するとも,あるいは最初の入植者がハルクという名であったことに由来するともいわれる。56-59年にクリム・ハーン国,ノガイ・ハーン国に備える要塞が築かれ,以後1768-74年の露土戦争によって黒海沿岸がロシア領となるまで,ロシア帝国南部の軍事的要衝であった。18世紀末から左岸ウクライナの中心都市として発達した。19世紀初頭に最初の企業が生まれ,1861年の農奴解放後は,ウクライナの豊富な穀物とドネツ炭田の石炭,クリボイ・ログの鉄鉱を背景に重工業が急激に発展し,1861年に5万だった市の人口は1901年には19万8000になった。十月革命・内戦期にはソビエト革命派の拠点であり,1917年12月に最初のウクライナ・ソビエト共和国が宣言されたのもハリコフにおいてであった。最終的にソビエト権力が確立されたのは19年12月で,そのときから34年6月までウクライナ共和国の主都であった。第2次世界大戦中の41年10月にドイツ軍に占領されたが,43年8月にソ連軍が奪回した。戦争中に市は徹底的に破壊されたが,戦後復興された。旧ソ連においてハリコフはモスクワ,レニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)に次ぐ機械工業の中心地であったが,電機,タービン,農業機械,工作機械など多様な機械を生産している。ほかに金属加工,皮革,繊維,食品などの分野も発達している。交通上の要衝で,道路・鉄道網の中心をなし,空港もある。ハリコフ大学をはじめとして20の高等教育機関,37の中等特別教育機関をもち,文化・学術面でもキエフと並んでウクライナの中心をなしている。
執筆者:青木 節也
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