ルルモッペ場所(読み)るるもつぺばしよ

日本歴史地名大系 「ルルモッペ場所」の解説

ルルモッペ場所
るるもつぺばしよ

マシケ場所の北に設定された場所名。ルルモッペ持場ともいう。北はトママイ場所と接する。ほぼ現留萌郡域と同じ範囲とみられる。ただし一七三九年(元文四年)当時、ルルモッペ場所はトママイに含まれており(蝦夷商賈聞書)、七九年(安永八年)以後はルルモッペ場所として独立している(「松前随商録」、「工藤家年々秘録」高倉家文書)。また場所の範囲は時代により変動した。一七八〇年代にはレウケ(現留萌市)からオニシカ(現小平町)まで、一八一〇年前後にはアフシラリ(現留萌市と増毛町の境)からヲタニコロ(現苫前町)まで(「場所境調書」など)、一八五〇年代後半にはアフシラリからチャシュンナイ(現小平町)までであり(玉虫「入北記」など)、現留萌市および小平おびら町にわたる一帯であった。天保郷帳では西蝦夷地蝦夷人居所之分に「ルヽモツペ持場」のうちとして「ルヽモツペ」ほか、ビラセムシヱンルムカウシヤヲニシカがみえる。当場所の開設は未詳ながら、テシホ場所が「慶長年間」と伝えることから(休明光記)、これと同時期の可能性がある。一六三四年(寛永一一年)松前藩主松前慶広の第六子景広にルルモッペ、テシホ両場所が与えられている(松前家家臣履歴)。のち松前藩家臣工藤家の知行となり、一八世紀初めに工藤八郎右衛門がトママイ場所を含め、四艘の交易船を派遣している(工藤家年々秘録)。のち(天明後期から寛政初期の間か)当場所は松前家の直領となった。一八〇六年頃は松前納戸領で、「惣名トマヽイ 但ルヽモツペ与唱」とみえる(西蝦夷地場所地名等控)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android