日本大百科全書(ニッポニカ) 「村山伝兵衛」の意味・わかりやすい解説
村山伝兵衛
むらやまでんべえ
蝦夷地(えぞち)の場所請負人。初代伝兵衛(1682―1757)は能登(のと)(石川県)の生まれ。松前(まつまえ)に渡り、阿部屋(あぶや)を号し廻船(かいせん)業を営む。その後、宗谷(そうや)・留萌(るもい)の2場所を請け負う。3代伝兵衛(1738―1813)は商才にたけ着々と事業を拡張、寛政(かんせい)のアイヌ蜂起(ほうき)(国後(くなしり)・目梨(めなし)の戦い)を機に飛騨屋(ひだや)の請負場所が松前藩直領となりその差配人となるなど、盛時には請負場所、差配場所あわせて数十か所に上った。1796年(寛政8)、藩庫収入の増加という目先の利益にとらわれた藩政の犠牲となり、居所払い、建物・土地などの没収を命ぜられ没落した。しかし98年幕府の蝦夷地御用掛設置に際し官用取扱いを命ぜられ、また松前藩からも居所払いを免ぜられ一代侍大広間格として採用された。4代以降幕末まで続くが、往時にまで再興することはなかった。
[山崎節子]
『『新北海道史 第2巻』(1970・北海道)』