改訂新版 世界大百科事典 「せむし」の意味・わかりやすい解説
せむし
人の背中の中央にあって体を支える脊柱は,胸椎の部分で後方凸に,腰椎の部分で前方凸に軽く曲がって生理的湾曲をつくっている。ときにこの湾曲が異常となり,背中の一部が円く突出した状態を〈せむし〉という。胸椎と腰椎の移行部が盛り上がるくる(佝僂)病性円背(〈佝〉も〈僂〉も〈せむし〉の意)がその典型で,鳩胸を合併する場合が少なくない。藤原明衡の作とされる《新猿楽記》の13番目の娘(十三の君)はこの例と考えられ(〈偊僂(くぐせ)にして鴒胸(はとむね)なり〉),V.ユゴーの《ノートル・ダム・ド・パリ》のカジモドQuasimodoは先天性奇形にくる病性変形が加わっている。せむしにはこのほかに加齢とともに胸椎と腰椎が弓状に曲がる老人性円背,結核や骨折により1~2個の脊椎骨椎体が破壊されてくさび状となり,その部の脊椎棘突起(きよくとつき)が角状に後方へ突出する角状突背も含まれる。中国,宋代の医書《嬰幼(えいよう)論》(鄭恵卿編)によれば,腰より上が屈して頸が短く,亀のようになる亀背は多くは疳(かん)の虫が病因(〈せむし〉は〈背虫による病〉の意)であるが,また乳児期に背を冷やしたり早期に座らせたりしても発症するとして,育児法に注意を促している。江戸元禄期の《小児必用養育草(しようにひつようそだてぐさ)》(香月牛山)はこれに加えて,乳母が温麵(うどんやそばなど)を食べて乳をやってもせむしになると,栄養説も述べている。
せむしを醜形として厭(いと)い,不当に差別してきた歴史は古い。《日本霊異記》(下,第二十)は,経を受持する者の悪口を言えば盲,聾,背傴(せなかくぐせ)(せむし)になると警告した《法華経》譬喩品の偈(げ)を引用している。《病草紙(やまいのそうし)》には著しい老人性円背のせむしの乞食法師や,脊椎結核かくる病によるか背中に瘤(こぶ)をつくる男が,通行する人々の嘲笑をうけているさまが描かれている。またF.ルークスの《伝統的社会における肉体》(邦訳題《肉体》)は,〈神がわれわれを足萎(な)えやせむしの仲間にお加えにならぬように〉と祈ったフランスのガスコーニュ地方の例や,〈足萎えやせむしはみな,尻に悪魔がいる〉ということわざをあげている。チェーホフの戯曲《プロポーズ(結婚申込み)》で,隣人と口論して地主ロモフが叫ぶ〈あんたのお母さんは,せむし女だったじゃありませんか〉という言葉にも侮蔑がこめられている。
せむしを醜形として差別していたからこそ,この障害に超然として生き,常人に勝る知力や人間性を発揮した話を荘子は好んで扱った。《荘子》の人間世篇には支離疏(しりそ)という男がせむしのおかげで兵役や労役を免れ,政府から穀物と薪をもらって天寿を全うした話があり,大宗師篇には病によってせむしになった子輿が平然としていた話があり,達生篇には痀僂(くる)の老人が蟬をとる至芸を孔子が感嘆した話がある。また,徳充符篇で衛の霊公に道を説いた闉跂支離無脤(いんきしりむしん)は,カジモドと同様の感銘を人に与えている。P.P.エルショフの長編詩《せむしのこうま》は,貧農の子イワンを助ける魔力を持った子馬の物語だが,この子馬の背には2個の瘤があって,人のせむしとは異なる。異形と魔力とを結びつけたこの伝承民話風の叙事詩は,ニコライ1世時代の検閲制度下に発禁となったが,革命後は広くソ連をはじめ多くの国で読まれて現在に至っている。
執筆者:池澤 康郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報