ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レーム事件」の意味・わかりやすい解説
レーム事件
レームじけん
Röhm Affäre
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1934年6月30日,親衛隊(エス・エス〈SS〉)がヒトラーの指揮のもと,軍部の協力を得て,突撃隊(エス・アー〈SA〉)幹部,保守派などの反対派を殺害した事件。犠牲者は100名を超える。殺害行動は事後合法化された。ヒトラー政権成立後活動の場を失った突撃隊指導者レームが,突撃隊の正規軍化,「第二革命」を要求したのに対し,レームの謀反を口実に突撃隊の影響力排除を図ったもの。親衛隊の権力が拡大するきっかけになった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…最初は国家人民党員ら保守派との連立政権(ナチ党員はヒトラーを含め3人のみ)だったヒトラー内閣もほぼナチ党員一色となり,ナチ党(ナチス)一党支配が確立される。その後,ナチ党の行動組織であった突撃隊Sturmabteilung(SAと略称)の指導部と伝統主義的な国防軍首脳部との対立を焦点に緊張が発生するが,ヒトラーは34年6月末,突撃隊参謀長レームを中心とする不満分子を粛清(いわゆるレーム事件)して国防軍の支持を確保し,大統領ヒンデンブルクの死を機会に総統=大元帥となる。外交的には,この間,国際連盟を脱退(1933年10月)するものの,国内での軍備強化に専念し,積極的対外行動は控える。…
… 1933年3月5日の国会選挙でナチスは647議席のうち288議席を獲得し,同年3月23日の授権法により議会政治を排除,5月以降,政党,労働組合の解散を強行し,ナチスによる一党支配を確立した。34年6月レーム,シュライヒャー,G.シュトラッサーなど潜在的な敵対者を粛清(レーム事件)。同年8月大統領ヒンデンブルクの死後,〈総統にしてドイツ国首相〉として,党首,政府首領,国家元首の地位を一身に結合,また国防軍の最高指揮官として軍からの忠誠の宣誓をうける。…
…一時ヒトラーと不仲になったが,30年から再び突撃隊参謀長。〈第三帝国〉成立後は突撃隊を基盤とする新しい軍隊の創設を夢見たが,伝統的ドイツ国防軍との当面の提携を重視するヒトラーによって,1934年6月30日のいわゆる〈レーム事件〉で粛清された。【山口 定】。…
※「レーム事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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