レーム(読み)れーむ(英語表記)Ernst Julius Röhm

日本大百科全書(ニッポニカ) 「レーム」の意味・わかりやすい解説

レーム
れーむ
Ernst Julius Röhm
(1887―1934)

ドイツの軍人、ナチス党の突撃隊(SA(エスアー))隊長。第一次世界大戦中、陸軍大尉になる。戦後ミュンヘンレーテ共和国を壊滅させ右翼武装団体の育成にあたった。このなかにナチス党の突撃隊もあった。1923年11月のミュンヘン一揆(いっき)に参加したのち、突撃隊の再編にあたったが、1925年には意見の対立もあってヒトラーから離れ、やがて南米ボリビアに軍事顧問として赴いた。1930年末ヒトラーに呼び戻され、ふたたび突撃隊長となり、組織の拡大に努め、左翼に対するテロ活動を強化した。1933年ヒトラーが政権につくと、ふたたび両者の意見は対立した。ヒトラーの擬似合法的な革命に飽き足らず社会革命的な「第二革命」を唱えるとともに、国防軍にとってかわろうとしたからである。このため1934年6月30日、一揆を企図したとしてレームは他の突撃隊幹部とともに殺害された(レーム事件)。

[吉田輝夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「レーム」の意味・わかりやすい解説

レーム
Röhm, Ernst Julius

[生]1887.11.28. ミュンヘン
[没]1934.7.1. ミュンヘン近郊
ドイツの初期ナチス党幹部。 1906年陸軍に入隊。第1次世界大戦中に大尉に昇進。 19年ドイツ労働者党 (1920年,国家社会主義ドイツ労働者党と改称) の創立に加わった。 21年SA (ナチス突撃隊) を組織,23年ミュンヘン一揆に参加,短期間入獄した。 25年合法活動に方針転換をはかろうとする A.ヒトラーと対立,SA隊長を辞任,ボリビア政府軍の指導にあたった。 30年ヒトラーの要請で SAに戻りその再編成に従事,30~33年のナチス党の進出には左翼勢力に対する暴力手段をもって貢献した。 33年ヒトラーの政権掌握後ヒトラーが資本家と妥協し,国防軍首脳と取引したことなどから,党内左派および SAに不満が起ったため,34年6月 30日レームらは反乱を企てたという名目で逮捕され,翌日裁判なしで銃殺された。この「長いナイフの夜」の粛清によって他の対立抗争にも決着がつけられ,ヒトラーの権力は安定した。

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