ロンドン伝道協会(読み)ロンドンでんどうきょうかい(英語表記)London Missionary Society

改訂新版 世界大百科事典 「ロンドン伝道協会」の意味・わかりやすい解説

ロンドン伝道協会 (ロンドンでんどうきょうかい)
London Missionary Society

海外の非キリスト教徒に福音をもたらすことを目的に,1795年ロンドンで設立された組織。おもな後援者は会衆派教会であった。当時のJ.クックの太平洋探検はイギリスのキリスト教界に強い興味を引き起こし,協会が最初に選んだ宣教の場所は太平洋地域であった。96年伝道船ダフ号はタヒチ島,トンガタプ島,マルキーズ諸島に向かう宣教師達を乗せて出航した。翌年にはタヒチに最初の宣教師が上陸し,以後南太平洋全域へのキリスト教布教の基地となった。しばらくの間タヒチではこれといった成果はあげられなかったが,1815年ポマレ2世王がキリスト教に改宗するや人々はただちにこれに従った。40年代には協会の仕事はタヒチから西方へと拡大され,クック,サモアフィジーの各諸島,さらにはニューカレドニア島ローヤルティ諸島ニウエ島などが活動の場となった。しかしタヒチでは41年以降,フランスの政治的支配が強化されるに伴い協会の活動は制限を受け,カトリックが取って代わった。タヒチを中心とするフランスの勢力圏からの撤退を余儀なくされた協会は,71年には2人の宣教師をニューギニアのトレス海峡諸島へ派遣し,以後もニューギニアへの派遣が続けられた。キリスト教の土着文化への浸透は,ヨーロッパ人との接触による新しい物質文化や武器,病気による人口激減など,これまで経験したことのなかった大変動のなかで,ポリネシア人メラネシア人が未来への幸せを願って福音を受け入れたことによるところが少なくない。なお協会は南太平洋だけでなく,アフリカなどにも宣教師たちを派遣しており,リビングストンアフリカ探検も協会の後援によるものである。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のロンドン伝道協会の言及

【ニュージーランド】より

…彼らはマオリと衝突し,食人の習慣があったマオリに殺されることもあった。1814年には会衆派教会系のロンドン伝道協会のマーズデンSamuel Marsden(1764‐1838)によるキリスト教の布教活動が始まったが,当時はマオリの人口,文化がヨーロッパ人のそれをしのいだ〈マオリ支配〉の時代であった。北島北端近くのアイランズ湾Bay of Islandsが交易の中心地となり,イギリス,フランス,アメリカの捕鯨船や商船が出入りした。…

※「ロンドン伝道協会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android