ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「リビングストン」の意味・わかりやすい解説
リビングストン
Livingstone, David
[没]1873.5.1. アフリカ中南部,チタンボ
イギリスの探検家,宣教師。19世紀最大のアフリカ探検を行なうとともに,奴隷貿易の実態を文明世界に明らかにした。紡績工場で働きながら,独学でグラスゴー大学に入り,ギリシア語,神学,医学を学んだ。1840年医学の学位を取得,同年宣教活動の志願者としてロンドン伝道協会に入った。1841年任地である南アフリカのクルマンへ派遣された。先住民との接触に成功し,前人未踏の奥地まで入って伝道に努めた。1853年セシュクから西海岸のロアンダへのルートを見出し,1855年には東海岸への道を開いた。途中,ビクトリア瀑布に到達。一時帰国,伝道協会との関係を断ち,1858年ザンベジ地域の巡回領事に任命され,政府のアフリカ探検隊の指揮をとり再びアフリカに赴いた。1864年帰国。奥地での奴隷貿易に関する実態調査とザンベジ川,コンゴ川,ナイル川など大河の水源発見を目的として,1年後三たび探検隊を率いて出発,非常な困難のため多くの隊員を失った。1871年タンガニーカ湖畔ウジジでヘンリー・M.スタンレーと遭遇。スタンレーが提供した人員と物資の補給を受け,再び 1872年8月にはナイル川,コンゴ川の源を探検に出発し,途中病気のためバングウェウル湖南岸のチタンボで死んだ。主著『アフリカ探検記』Missionary Travels and Researches in South Africa(1857)。
リビングストン
Livingston, Edward
[没]1836.5.23. ニューヨーク
アメリカの法律家,政治家。 1785年ニューヨークで弁護士の資格を取得。 95~1801年ニューヨーク選出のリパブリカンズ (共和派) 連邦下院議員。 01~03年ニューヨーク市長。 03年の黄熱病流行の際,自分も罹病しながら防疫にあたった。 04年ニューオーリンズへ移り弁護士を開業。アメリカ=イギリス戦争 (1812) に A.ジャクソン将軍の幕僚として従軍,15年のニューオーリンズの戦いに参加。 25年ルイジアナ刑法の改革案を提出,採用はされなかったが,イギリス,フランス,ドイツなどで高く評価された。 23~29年連邦下院議員,29~31年連邦上院議員,31~33年ジャクソン大統領の国務長官,33~35年フランス駐在大使。
リビングストン
Livingston, Philip
[没]1778.6.12.
アメリカ独立革命期の実業家,政治家。独立宣言署名者の一人。ニューヨークの実業家として活躍。 1774~78年大陸会議代表。その後,ニューヨークの上院,下院議員をつとめた。教育に関心深く,キングズ・カレッジ (のちのコロンビア大学) 創立に尽した。
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